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CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行

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2007/05/05
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テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:中国旅行
<補足6>です。


「盲流」の歴史


に入る前に「票証」というのを紹介したいと思います。



「票証 piao4 zheng4」とは、「配給券」の事。



物資不足の背景と平均分配の理念に基づき、
1953年-1993年まで続いきました。



「票証」でピンと来なくても「糧票(リァンピアオ)」は聞いた事があるのでは?



中国人の馴染みのある年代にとっては当時の票証とは、イコール「命」と即答できるもの。
「票証」がなければ物事は進まず、基本生活の保証もない。

特に「糧票(穀類切符)」は三度の食事にありつけるかどうかの重大問題であり、
忘れがたいものであると聞きます。


他にも肉票、魚票、糖票、香煙票、布票、紡績品票、毛線票、靴票、
石鹸票、洗濯石鹸票、マッチ票、燃料票、飼料票、時計票、自転車票、

等、日常生活に必要なものを「票証」に取り入れ種類は最多時102種類に上りました。



間に文革も起こり、物資が欠乏している国情において、
なくては生活が出来ないものであったそうです。



その後、ニセ票の出回りやブラックマーケットでの交換などの社会問題もありながら、
改革開放以降の経済発展に伴い徐々に廃止されていきました。


例えば、北京市での廃止状況。


1983年 購買票と布票の廃止
1984年 牛乳供給証の廃止
1987年 僑匯券の廃止
1991年 食糖票の廃止
1992年 肉票、卵票、石鹸票、居民購貨証の廃止
1993年 糧票、油票、城鎮居民糧食供応証の廃止。
      これにより「票証」が全面廃止となった。

【補足】廃止後、諸事情で穀物供給が需要に追いつかず
95年半ばに29都市で一時的に復活した。



次に「盲流」の歴史を下記にします。




1958年 中央労働就業委員会が「農民が盲目的な都市流出の克服」の要請を出し、
      「盲流」の概念が正式に誕生。

1980年初 *郷鎮企業へ多く出稼ぎに出るようになる。
       *中国の郷(村)と鎮(町)における中小企業。

1984年 農民は自活の為に県(郷より一つ上の地方単位)
       以下の地区での労働や商売の許可を中央政府が提出。

1985年 公安部が身分証を与え、農民は自由に流動できるようになった。

1992年 「票証」の取消。これにより突如4000万以上の農民が都市へ出稼ぎ。

1993年 中央政府は労働市場発展の必要性を提出、
       農村の余剰労働力の移動を奨励、地区間の流動を許可。

1995年 8月10日公安部が「三無盲流」
      (証明書無し・固定住所無し・真っ当な仕事や経済収入が無い)
       の多くは盲目的に出てきて仕事を探す者、又は流浪者と解釈し、
      帰郷するよう諭す、又は収容・送還等排除を行った。

2002年  中央2号文書にて、農民の都市入りを奨励。

2003年  9月9日、国務院事務庁から通知「農民工のレベルと就業能力を高め、農村労働力を
       非農産業や城鎮へ転移する事を促進する」



ここで


1992年「票証」の取消。これにより突如4000万以上の農民が都市へ出稼ぎ。



経済発展とは大都市だけの話で農村はその恩恵にあずかれなかったでしょう。


徐々に廃止されていく「票証」に、どんな気持ちでいたのか…

そして最後に「糧票」も全面廃止になって、突然自活を余儀なくされた時、
彼らはどっと農村から出てきたのです。



食べるために。

生きるために。




あの時死ぬ思いをした私を見向きもしなかった人達…



当然だった。



彼らも「生きるか死ぬか」の瀬戸際にいたのだから。



今まで全然分からなかった、あの時の状況。

何故みんな、あんなに必死だったのか。




恥ずかしいけど、今回この話を書く為に調べて、
15年経ってから初めて少し理解できたような気がします。


きっとまだ分かっていない理由もあるのでしょうけど
それはまた思いついた時に。



今はただ

頭の中の風景に、血が通ったような。

そんな思いです。




盲流.jpg


盲流1.jpg






*もし間違い等ありましたら御指摘下さい。

<補足7>【壱】広州-杭州 列車旅の思い出
につづく。



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次から、また話の<補足>に戻ります…(汗)





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最終更新日  2007/05/05 01:35:38 AM
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