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カテゴリ:中国駐在時代
3年放置されていた財務問題は、その間の資料を洗い直して 再チェックして結局4ヶ月で解決できました。 その頃から本社の大川さんに対する評価の見直しがあり 降格された、と聞きました。 代わりに私の評価は上がりまして。 それはそれで有り難かったですが、 私自身は今までと全く変わっていないのに 急に評価が変わった事が不思議な感じでした。 今まで私に友好的でなかった人が急に愛想良くなる事もあり。 え~加減なモンやな、会社とか、人間ってさ・・・ 滑稽であると同時に、悲しくなりました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * 私の帰国に関しては、本社の人事と何度か話し合い、なかなかOKが 出なかったのですが最終的には「後任を見つければいいでしょう」との事で。 こんな田舎で働こうという日本人は、なかなか見つかりませんでしたが 人材派遣会社やネット募集で何とか採用でき、私の帰国許可も出ました。 一区切りつきました。 が、最後に、やりかけた大川さんの賠償問題は、私が、 もう少しメドをつけておこうと、顧問弁護士と交通警察に相談に行きました。 結論的には、宋君一家は本当に賠償能力が無い為 本来受け取れるような額(30万元ほど)は、とても無理だろうとの事。 それ以下の金額で折り合いをつけるしかなさそうでしたが、 支払い履行の段になれば、以下の問題が想定できました。 ■ 誰が窓口になるのか?⇒会社の総務? ■ 不履行の場合、誰が取り立てるのか?⇒? 大川さんの事故は厳密に言えば会社とは別問題ですし、 こんな事で会社の総務を使うべきなのか・・・ また不履行になった場合、どうやって取り立てるのか。 警察の話しだと示談は警察介入するけれど履行は自己責任との事。 支払いに関する電話連絡はどうするのか? ラチがあかない場合は家まで行くのか? 国民性も考えると、一筋縄では絶対にいかない事は 目に見えていたので、私からの提案として 「窓口及び取立て業務は顧問弁護士等の信用できる第三者に委託する。 第三者への報酬は実際の入金額の何割かを渡す事とし、 その報酬割合は事前に話し合いにて決定、且つ契約を交わす」 と言った内容の提案書を竹山さんに渡しました。 「頼みましたよ」 そう言って、託しました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 帰国後、本社に何日か出社した時に。 「大川さん、どうしてるの?」と同僚に聞くと 「現場で倉庫管理してるよ」 「倉庫管理…ちゃんと歩けてるのかな?」 「片足、引き摺ってるよ」 私は事務所にいましたので、挨拶に行こうかな、と思いましたが ・・・やめておきました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ある週末。 「今日、変な電話あったけど」と母から言われました。 「変な電話?」 「なんか『あ、あ、アコさんいますか…』って言って。 『出かけてます』って言ったら『じゃあ、いいです』って。」 「ダレ?(~。~)」 「ヨシオカさんって言ってたけど」 「ヨシオカ?知らん、そんな人」 「…変態やろか?(汗)」 「さぁ…」 次の日に、また電話があったのですが。 大川さんでした(!) (ウチの母らしく、全く名前を覚え間違えていたのでした^^;) 「ちょっと、メシでもおごらしてくれや」 「え~(驚)そんな気ィ遣わんといて下さい」 「いや、世話になったし」 「はぁ…」 ・・・で、次の週末に一緒に御飯を食べる事になりました。 事故から、約1年経っていました。 つづく。 「早く続き~」と思われた方へ:是非上記バナーをですね、クリックして頂けると、 モチベーションが上がって「頑張って書こう!」と思いますので宜しくお願いします。 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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