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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:上海留学時代
上海留学の頃は各国から留学生が来ていました。 復旦で当時500人いたと言われていた留学生。 94年当時は「留学生は留学生寮に居住する」という規定が あったので殆どの生徒は寮に住んでいました。*奥さんクラスは別。 (若干名、無断で外に部屋を借りて住んでいました。彼らは 名目上、寮に住んでいる事にする為、名前だけおいていました) 半数は韓国人、1/3は日本人、その次にアフリカ人、 その次にラオス人やマレーシア・シンガポール人、そして欧米人等。 結構、国際色豊かな環境でした。 その内、インド人は4人いましたっけね。 男女2人ずつ。 男性の方は男子寮の近くで、時折ターバン巻いてる人を 見かけるくらいで話もした事がなかったのですが。 女性2人は私の部屋の近所で。 最初の頃、彼女らはサリーを着て授業に登場したりと、 結構目を引く存在でありました。 一人は活発で目鼻立ちのハッキリした美人さん、名をモニシャとします。 もう一人は物静かで神秘的なモナリザのような人。 「モナリザ」の方は公共の洗面所でよく髪を梳かしていました。 ふくらはぎくらいまで長い髪で。 ユックリユックリ、クシを通し、私たちが見ていると少し微笑んで また髪を梳かすという、とっても雰囲気のある人でした。 彼女らがトイレに行く時には必ずバケツを持って行く。 そして水道の水を入れて、個室に入る。 用が終われば、バケツを丁寧に洗って、部屋に干していました。 そんな光景を見かける度に「へ~噂通りだ(驚)」なんて 物珍しく観察していました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 3ヶ月くらい経って、緊張感もほぐれて来た頃、 よからぬ話が聞こえてきました。 「公共の冷蔵庫に置いていた食べ物がなくなった」 「公共の洗濯場に干していた洗濯物が無くなった」 「またやられたよ!」 「一体ダレだ!(怒)」 自炊グループは自分達で冷蔵庫を買って、外側を鎖で グルグル巻きにし南京錠をかけ、勝手に開けられないようにしたりと ピリピリした雰囲気が流れていたある日。 モニシャ(活発なインド人)が公共の洗濯場に干していた欧米人の トレーナーを勝手に着ていたので、欧米人は「返せ」と言ったが モニシャが「これは私のよ」と断ったので、激怒した欧米人が、自分が以前 そのトレーナーを着ていた写真と、モニシャが今着ている写真を行政科に 持っていって抗議し、行政科の指導でモニシャはトレーナーを返した。 という事件が起きました(驚) モニシャの兄貴(兄妹で留学してきてた)も人の服を勝手に 着ていて男子寮で騒動になった、という話も聞き。 「インドでは持っている者が持っていない者に施しをするのは当然」 という考えがあると聞いた事があったので これがインド人なのか…?(~。~; 困惑する一方で ・・・しかし、それを上海でするか? 掟破りの度合いに、驚愕しました。 *モナリザと、もう一人の男性インド人は、そのような話はなかったです。 これらの事件以来、「モニシャとその兄貴」は、留学生達から警戒され 食べ物もそうなのではないか、と疑われたりしていました。 (実際は色んな人が盗っていたらしい) まあ、しかし私は被害に遭っていないし、モニシャと部屋も近いし、 授業も一緒だったので、当たり障りない付き合いをしていました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * そんなある日。 モニシャが私の部屋に来まして。 「ちょっと、お願いがあるんだけど…(笑顔)」 「何?」 「お金を貸してほしいの!」 「…お金?(汗)」 「今、生活費がなくて。1週間後に奨学金が入って来た時に返すから」 「…え、いくら?」 「150元(当時、約1650円)」 (~~;;;;; 「…財布の中、確認してみるよ。後でいい?^^;」 「OK!(笑顔)」 ・・・・・・・・・・・・ ・・・勿論、150元くらいは持っていたのですが、 色んな事を聞いていたので、即答を避けたのです。 部屋も近所だし、断りにくいよ~…(悩) どうしよっかな~ 元々、頼まれると嫌と言えなかった私。 彼女も返すって言ってるしな… …でも、返って来ないかも(汗) でも怪しいから貸さないってのは失礼だしな~。。 …どうすべ?(汗) 30分ほど、あれこれ悩んだ挙句。 私はモニシャの部屋をノックしました。 つづく。 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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