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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:上海留学時代
先ず笑顔を作り、スタンバイOK。 モニシャの部屋をノックしました。 出てきたモニシャ。「あら^^」と笑顔。 私、深呼吸。 「これ、150元。貸すよ。」 「ホント(驚)有難う!」 「あ、でも、ちょっとさ、あの~・・・・(言いよどむ) ・・・先に、チエティアオ(借用書)書いてくれる?(笑顔)」 「チエティアオ?(~~)」 「えっとね、英語だと、こうかな?(メモ書きした単語を見せる)」 モニシャは一瞬だけ、素の顔になった後。 「OK!(笑顔)」 すぐに机に座って、借用書を書き始めました。 「これでいい?」 「え~っと…(読む)あ、悪いけど何月何日に返済します って言うのも書いてくれる?」 「OK!(笑顔)」 また机に座ってすぐに書いて。 「これでいい?」 「うん!完璧ね!(お金を渡しながら)ごめんね~、やっぱりお金の事だから キチンとした方がいいと思ってね。それと私、すぐ忘れるから、バカだから。 今、お金渡したよね、私?ホラすぐこうなのよ、ホント、ゴメンね。 ハハハハハハハ~~~!!!(バカ笑い)」 手を振ってバイバイしながら \(^▽^@) ハハハハ~ 小走りで自分の部屋に入りました。 ドアを閉めて。 ・・・(`Д´;;; 緊張した(大汗) 「借用書」って言ったら、モニシャ一瞬「素」になったな、見事に(汗)気を悪くしたかな? …でもさ、インド人なんてさ、どんな人達か全然知らないしさ、アタシも怖いよ実際。 それほど親しくもないのにさ~お金貨すなんてさ~(汗)あ、でもさ借用書って「アナタを 信用してません」って言ってるみたいに思われるかな?モニシャの笑顔も引きつってた気が するしさ。でも、もういいや、もうやっちゃったからさ。これでもし返って来なかったら 借用書持って行政科へ抗議すりゃいいや…あ~もういいや、どうでもいいや、やっちゃったから(汗) ・・・こんなにグダグダ悩むくらいなら、 いっそ貸さない方が良かったか?とも思ったのですが。 でも、インド人だから、悪い噂を聞いたから、の理由で 彼女を判断するのはどうかな、と思ったし。 でも、何もなしに貸せるほど信用できるワケでもない、 彼女の事をインド人という事と名前くらいしか知らない。 私にとっては、正体不明同然だから。 でも挑戦したかった。 外国人(インド人)にお金を貸したら、どうなるんだろう? その経過と結末を、私自身で体験したかったのです。 なので、最低限「借用書」っていう、紙切れにすぎないけれど 何か証拠がある事でお互いフェアになれる気がして、 これが、その時の私が思いついたベストな方法でした。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * その後、3日ほどは、モニシャの顔を見たらドキドキして 顔が引きつったり、妙にハイテンションで挨拶していた私でしたが。 一週間後、もう普通のテンションでモニシャと話せるようになった頃。 モニシャが私の部屋に、お金を返しに来ました。 「・・・お金?・・・あっ!分かった、ありがと」 お金を受け取ってボーッとしていた私に、モニシャは 「あれ、返して」 「・・・あれ?」 「借用書(素の顔)」 「あ・・・あれね、ハイハイ」 借用書を渡すと、モニシャはその場で後ろを向いて 素早くピリピリと破きました。 モニシャの背中を見ながら私は やっぱり…失礼だったのかな?(汗) 屈辱…とか、思ったのかな?(汗) ちょっと焦りましたが、でも 私は何も悪くない( ̄へ ̄; と開き直り、そして安堵しました。 お金が戻ってきた事にもですが、何より 「モニシャが約束を守った」という事に安堵しました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * モニシャとモナリザは最初別の部屋に住んでいたのですが、 モナリザのルームメイトの韓国人が、「トイレ用のバケツ」を 部屋に置いている事を嫌がり、ヒステリーを起こしたそうで(!) 途中からモニシャとモナリザは同じ部屋になりました。 各国から来ている留学生達は、国別や文化圏別に固まるものですから 韓国人、日本人、アフリカ系、欧米系、東南アジア系のグループの中で インド人は孤立した形で、やはり浮いた存在でした。 それでもモニシャは勉強を頑張り、休み時間には我々に混じって バレーボールをしたり、積極的に交流を取ろうとしていた姿はけなげでした。 お金を返してもらった後、モニシャと私は以前と同じような友人関係で、 何回かモニシャの部屋に遊びに行き(ターメリックのニオイがする部屋) 家族の写真を見せてもらったり、お茶を飲んだりした記憶があります。 ヒンドゥー語も少し教えてもらい、モニシャと会った時には ヒンドゥー語で「こんにちは」と挨拶をするようになったり。(もう忘れたけど) モニシャが留学を終える頃には彼女に関する悪い噂も、消えていました。 (その後、問題を起こさなかった、という事) 「インドに遊びにおいで!」 「うん、いくよ!(嬉)」 なんてやり取りもありましたが、当時から今まで中国だけで一杯一杯で 結局行っていません。 これが私の人生最初のインド人との交流で、しかも「お金がらみ(少額ながら)」 の体験だったもので印象深かったです。 当時は彼女らの異質さにビビって、受身の交流しか出来ませんでしたが ずっと好奇心はありました。 昨今は経済成長も注目されていますし。 インド。 中国以上にカルチャーショック受けそうですが、 いつか絶対行ってみたいと思っている国です。 モニシャは、大学教授の娘という話でした。 今も昔も無知な私はインドで大学教授の地位がどうなのか、当時、中国に留学する事が インド人にとってどういう位置づけだったのか分かりませんが。 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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