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テーマ:中国&台湾(3304)
カテゴリ:上海留学時代
行政科の態度は非常に頑(かたく)なで、取り付く島もありません。 そちらのお力で学校に働きかけて頂けないでしょうか? こんなヘルプの手紙(そんな時代です)を書いた相手は。 留学センターの担当者でした。 名を白石さん(仮名)と言います。 これまた中国長期留学経験者の人で 「何かあったら何でも相談して下さい」 と言っていたので、私は相談したワケです。 留学前も不安一杯だったので、よく東京まで白石さんに電話してました。 学校の先輩に、「中国の飛行機は他所の国の飛行機の払い下げで 非常扉をガムテープで補強している」等と言われていたので。(冗談?) 「中国系の航空会社で大丈夫ですか? 飛行機は、○ちないでしょうか??(汗)」 等という質問をしていました^^; 白石さんは、中国に対して知識が豊富で ちょっと変わっていたと言うか、 欲がないと言うか、マイペースと言うか、 サービス業には向いてないんじゃない? って感じの人だったのですが。 そういうノンビリした感じに、学校の先輩的なニオイを感じたので 私はF大の留学状況を面白おかしく手紙に書いて報告していました。 (元々こんな話を書くのが好きでした) 白石さんの返事も気さくで 「詳しい報告有難うございます。今後の資料になります。 ところで、アコ小姐はどんな音楽を聴きますか? 僕は留学中、キャンディーズの曲をギターでよく弾いていました」 という返事をくれたりして。 キャンディーズ・・・?(~。~;; この返事はかなり印象深かったですね。 ともかくヘルプの手紙を出して10日後。 白石さんから返事が届きました。内容は、 「それは大変ですね。分かりました、すぐに学校側に働きかけます!」 ・・・ではなく。 「中国留学はスタートしたばかりです。最初から こんな事では、中国生活を乗り切れませんよ。 自力で頑張って下さい」 という返事でした。 え~~~~~!?!?!?(゜▽ ゜;;; 頼みの綱は、 ブッツリ切られました(^^; 白石め~~~!!(涙) つづく。 今はどうなのか分かりませんが、1994年当時は個人で留学するには「日中**協会」や 「日中****」と名のつく留学を斡旋する会社を通すのが普通でした。 私が依頼した団体の斡旋費用は約3万円くらいだったと思います。 これは斡旋費用のみです。学費や寮費、生活費は自腹で。 後に同じような留学斡旋の会社で少しバイトしましたが、そこの社長の話によると 最初の長期留学斡旋を始めた非営利団体が3万円という相場を作ってしまったので 後続の企業も皆、その相場にせざるを得ない状況になった。 故に「長期留学の斡旋では儲けが出ず、短期間で丸抱えの費用を取れる 短期留学で利益を出さないと~!!」と、そこの社長はいつも言っていました。 白石さんの手紙はショックでした(--; でも今思えば白石さんも敢えて突き放した…かもしれませんね。 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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