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テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:中国旅行
最終地、上海。 前年に続き、2回目でした。 しかし、まあ~見事に写真がありません。 それどころではなかったのでしょうか? 故に、所々残っている記憶を頼りに・・・ * * * * * * * * * * * * * * * 先ずは宿ですね。 バックパッカーは当然ドミ (ドミトリー=いわゆる相部屋) です。 ホテルは恐らく・・・(--)←考え中。 「黄浦飯店」 前年は浦江飯店に宿泊したのは覚えてますが、 この年は違ったような気がするので。 ここで同行の友人が1年の留学で培った「中国的世渡り」を 見事に発揮しておりました。 <チェックインの時> 予約なんて当然してないから、飛び込みで宿泊。 友人 「ニーハオ♪(笑顔)ドミトリー(多人房)に二人」 *友人は何かサービスしてもらう時は、しんどくても絶対愛想笑いしてました。 服務員の女 「満了(空いてないわ)」 両手を「お手上げ」状態に広げて断る服務員。 私 「え~どうしよ~(困)」(←素人) 服務員の女 「ツインなら空いてるけど( ̄ー ̄)」 友人 「・・・(--)」 友人「行くよ」と私を連れて宿泊部屋の方へ。 ドミトリーの場所を見つけ、中に入る。 中は西洋人や東南アジア系など外人ばっか。 友人、部屋の中の外人に「このベッド空いてる?」「こっちは?」と聞き 「誰もいないわ」と返事を確認した後、またフロントに戻る。 友人 「ドミトリーに二人(笑顔)」 服務員の女 「部屋はないって言ったでしょ」 友人 「空いてるベッドがあるって部屋で確認したけど?(⌒ー⌒)」 服務員の女 「・・・身分証(--)」 そしてチェックイン開始。 *高い部屋に泊めさせようと安い部屋を「ない」と言われる事が多かったのです。 <外白渡橋の占い> チェックインが終わって、やれやれ。 近くの外白渡橋を散歩していると自転車に乗った男が 「要不要看相?(占いするか?)」 と声を掛ける。 友人は「不要(いらない)」と去ろうとしたけど 私は「え~占いした~い」 最初に「5元」と値段を何度も確認してから開始。 しかし上海語で言うものだから、全然ワカラン。 そうすると女性が一人寄ってきて、普通話に通訳してくれました。 占い終了後「はい、5元」と渡した私に 「20元よ」と女。 通訳代があるので20元だと言う。 私 「5元って言ったじゃな~い!(怒)」(←素人) 女 「20元よ!」 私 「5元しか払わない!」 女 「20元払え!」 押し問答の二人に友人が一言。 「公安、行く?(⌒ー⌒)」 この一言聞いて、女は くやじ~(▼皿▼*) の表情になり 5元奪って、男と一緒に去りました。(つまりグルだった) トラブル対処法(?)を、しっかり身につけていた友人に、 感心する事しきりでした。 と同時に、自分の無力さをシミジミ感じました。 * * * * * * * * * * * * * * * ドミトリーは思ったより清潔で、 また他の宿泊客が外人ばかりで、いい雰囲気でした。 隣のベッドの若い西洋人の女性と話をしていると 彼女は上海にある銀行に駐在しているドイツ人との事。 「え~???中国で働いてんの???」 今ではそれほど珍しくないですが、当時(92年)で 女性が上海駐在なんて聞いた事なかったのでビックリしました。 この時、私はかなり咳き込んでいまして。 「コンコンコンコン」と寝ていても咳がこみあげてくる始末。 あまりにもひどいので、ドイツ人の女性が「よく効くから」と 半分残っていた中国の咳止めシロップの瓶をくれました。 それを飲んでも全然治らず、伊丹(関空は94年9月4日から開港) に到着後もずっとコンコン。 リムジンバスに同乗していた知らないオバチャン達から 「あなた、病院行きなさいよ~」と口々に言われ。 帰宅すれば 「あんた結核じゃないの?うつさんといてや~」 と母に迷惑そうに言われ、 傷ついた事も、この旅の思い出の一つです(;_;) 以上で92年旅行記を終わります。 ↑ よろしければ是非、一回押してやってください。。 当時は単なるノド風邪と思ってましたが、本当は当時から空気が悪かったからだと思います。 ドイツ人女性が咳どめシロップを持っていたのも、それだったかと。 在中の時も春先、毎年すごい咳でした。 総括すると前年度の旅は全てが「カルチャーショック」の新鮮な旅でしたが、 この92年の旅は、楽しさは少なく、厳しさを多く感じた旅でした。 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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