訪問先から出発する時に、呼んでもらった車。
黒い乗用車。
運転席には・・・
穏やかな表情の老年のオジサン。
あまり話が弾みそうじゃないな…
駅までだし、大人しくしとくか(・_・)
そう思い、助手席に乗り込みました。
訪問先の人に笑顔で手を振っていたら
「ふだ・・・」
と聞こえました。
・・・ふだ?
見ると、運転手のオジサンが、
私を見ながら
自分の胸元を指差しています。
私は自分の胸元に手をやりました。
・・・来客カード!
あ~…ふ だ ねぇ !
まあ、確かに「ふだ」だ・・・(納得)
オジサンの窓越しの向こうに
警備員のオジサンが見えました。
「ここで・・・」
オジサンは言って、
警備員に渡すジェスチャーをしたので
「そうですね!すみません。
不好意思、不好意思(すみません、すみません)」
来客カードを返しました。
車は訪問先を出て、道路を走り始めました。
オジサン、ちょっと日本語分かるのか…(・_・)
台湾では、TAXIの運転手さんでも
ある程度の単語は日本語で話せる人が多いから
このオジサンも
その類(たぐい)・・・・
・・・・ ふ だ ?
・・・この単語は、
片言の日本語じゃ出ない・・・!?(~。~;
もしかして・・・
年代からしても・・・
「・・・日本語、話せるんですか?」
「はい、話せます。」
オジサンは大きく頷き
「昔、国民学校で習いました」
日本統治時代の、経験者だ・・・!
・・・当時の状況を経験した人が、隣にいる。
私は、異常にドキドキしていました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
祖父母と母は、台湾からの引揚者でした。
祖父は統治時代、終戦で日本に引き揚げるまで
10年以上台湾で、現地の人達に農業技術指導をしていました。
台湾語も器用に話していた、と祖母がよく言っていました。
祖父は早くに他界したので、
私は仏壇の上に飾られた写真と、
祖母達の話でしか祖父の事を知りません。
しかし年月が経つにつれ
異文化への興味が尽きない自分が
どこかで祖父と相通じているような気がして
また、ここ最近の台湾との関わりで
祖父が台湾で何を思い、どう感じていたのかを
強く意識するようになりました。
異文化に身を置いていた祖父と
共感を得たかったのか、
時代は違えど「台湾」という共通項で
自分のルーツや、日本人としてのアイデンティティを
確認したかったのか。
とにかく
自分でもよく分からないくらい
沢山の思いがゴッチャになっていて
簡潔には書けませんが。。
そして
オジサンの言葉を聞いた時、急激に
まるで祖父の友人にでも出会ったかのような
強烈な親近感が湧いてきたのです。
しかし
興奮をグッと抑えました。
祖父への思い入れを、会ったばかりのオジサンに
投影するのは、あまりにも冷静さを欠いています。
それに
オジサンの表情は、
何を思っているか、よく分かりませんでした。
オジサンは見た目若く見えますが、
話の調子や動作は、ゆっくりでした。
その点、やはり高齢を感じました。
口元は微笑んで、穏やかな顔つきですが
表情に、あまり動きがありません。
穏やかな無表情・・・とでも言うのでしょうか。
「国民学校で・・・」と自分から言われた割には
日本人の私にも、特に反応していないように見えました。
オジサンは、当時の事をどう思っているのだろうか・・・
聞いてみたい・・・
私自身が日本人として、
当時を経験した台湾の人の声を直接聞きたい、
という気持ちがあり、
そして、その答えの向こうに、
当時の日本や祖父の姿を垣間見られるかもしれない、
そんな気持ちもありました。
でも、
穏やかなオジサンの横顔に
増してや初対面で。
こんな事を、聞いていいものかどうか、考えていました。
つづく。
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1895年-1945年、日本は台湾を統治していました。
詳細は「台湾 日本統治時代」等のキーワードで、御覧頂ければ。
祖父の事を意識しだしたのは、ここ数年です。
今までも統治時代を経験された方とお会いする事はあっても
大陸により興味があったので、機会を生かせていませんでしたね・・・
当時の台湾の方は親日家が多いですが、でも色んな考えの方がいらっしゃいますから。
今回の運転手さんについては、どんな人か全く知らなかったし。
また、表情が読みにくかった事もあって
失礼にならないように話をしないと、と考えていました。
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