|
テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:上海留学時代
暫くして苗(びょう)さん達が戻ってきました。 「どうでした?」と私。 苗さんは首を振りながら 「しぇんしぇえ(先生)、すみません。 学校は賛成しません。 しぇんしぇえは日本人だから、特別に他のしぇんしぇえの2倍の給料です。 だから学校は、もうTAXIのお金は出せません、と言いました・・・」 うなだれる苗さん達。 「そうなんですか・・・」 2時間半で25元なら、時給に直せば10元(110円)/時。 もし普通の会社なら月に20日、8時間労働/日として 1,600元(17600円)。 この時点で苗さんの月給(1,000元)より多いわ。 それに教師の給料は、この国では安いから(文革の影響で) 学校も外国人だから、と多めにくれているのは、分かるよ・・・ * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 当時、復旦大学(一流総合大学)で留学生に教えていた 老師の月給は350元(約3,850円)と聞いていました。 当時でも生活するだけで精一杯の給与です。 一生懸命教えてくれてる老師が、しかも復旦なんて 中国でも屈指の名門校の老師がそんな待遇だったとは、 老師が気の毒になるほどでした。 故に、違反でありながら一部の先生はコッソリ 留学生の家庭教師をしていていました。 老師に家庭教師を頼む場合の相場は月に500元(約5,500円)。 本業より儲かります。 家庭教師をする老師は値段交渉も厳しいらしく、 教育者なのに、まるで商売人のように感じましたが この状況では仕方のない部分はあったと思います。 学生にしても、留学生とは通常「相互学習(互いの言語を教えあう)」 でしたが、一部の大学生は家庭教師をしていました。 1回10元か20元が相場だったと記憶しています。 とにかく庶民はみな、余裕のない生活から抜け出そうと 何とか収入を増やす為に出来る事は違反でも何でも、やる。 丁度、産業も盛んになっており物資も増えてきていましたから 物質欲も刺激され、更に拍車がかかっていました。 子供の将来、家族の幸せを考えて、 なりふり構わず豊かな生活と幸福を手に入れる。 それには、先ず「カネ」 このような極端な風潮は 向 銭 看(拝金主義)と呼ばれていました。 それまでの食うか食われるか、支配か搾取の歴史からの 脱却として社会主義国が誕生したのですが。 経済発展の行き詰まりと政治混乱から また市場経済を取り入れた急激な方向転換。 元々コネと賄賂が横行していた人治政治に 関連法規が整わないまま、そしてルールを遵守しない風潮の中 競争主義を取り入れた事で、欲望むき出しの 目的をカネとした「何でもあり社会」が出来上がっていました。 我先にと勝ち急ぐ、ルールもへったくれもない人生ゲーム。 いや、彼らにとっては現実そのもの。 そして国家も、国民の飢えを満たし政情を落ち着かせる為、 且つ諸外国と肩を並べようと経済発展を目指す。 これこそが今の中国発展の原動力だったのですが 私のような外国人の目には、 それは非常に矛盾をはらんだ 奇妙奇天烈な社会に映りました。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 話は戻って。 学校がTAXI代を出せないなら、仕方ない。 気をつけて帰ればいいや。 そう思っていると、また苗さん達が会議を!(~~; 侃侃諤諤(かんかんがくがく)やっていますが? みんなで先生にTAXI代をカンパしよう そんな議題になってる・・・(~~;(←聞き耳立ててる) でも、この提案は、賛成者が少なくポシャってました^^; そりゃね・・・ みんな収入多くないもの。 身銭切ってまで、できないよ・・・(うんうん) しかし、苗さんがまた新たな提案を!(~~;(←聞き耳立ててる) 先生を寮まで、送って行こう! エ~~~ッ???(゜▽゜;) ・・・メチャ遠いで! これは、若手から反対の意見が出たようでした。 そりゃそうです。 私を送って行くのに1時間半かかって、そこからまた 自分の家に帰るのですから、何時間かかる事か・・・ まあ、しかし。 この提案もポシャるのだろうと、 苗さんと若手のやり取りを、素知らぬ振りで聞いていました。 すると苗さんは 「先生が大変なのに、 お前ら何言ってんだっ!!(▼皿▼)」 一 喝 ヒョエ~!!(゜▽゜;) ←私 若者達は、黙ってしまいました。 「しぇんしぇえ!^▽^」(←ニコニコ笑顔) 「あ、苗さん(汗)」(←今気付いたふり) 「私達が、しぇんしぇえを寮まで送ります!」 「え・・・(汗)でも、みんな困りますよね。遅くなるから^^;」 「大丈夫です!みんな賛成です!^▽^」 「え・・・(・v・; だって、さっき大きな声で^^;」 「大丈夫です。心配しないで。みんな賛成です^▽^ な、みんな!」 うつろな目で、うなづく若者達。 ・・・無理矢理やな(汗) 結局。 苗さんが「大丈夫、大丈夫」と言うので 私も、送ってもらわざるを得ない状況になりました。 私 「では今日、私は誰と帰りますか?」 苗 「私と、彼らです」 私 「5人も!?いや、それは~(汗)」 苗 「大丈夫です、心配しないで」 いくらなんでも、それはイカン。 一人で帰れます、と何度も断ったのですが。 結局、苗さんに押し切られてしまい 護衛団(?)と共に、帰宅する事に・・・。 えらい大ごとに、なってしまった・・・(><; 授業時間が終わり。 張り切る苗さんと、また盛り上がってきた生徒達、 そして恐縮しまくりの私は バス停へと歩いて行きました・・・ つづく。 *このお話しは、1995年上海での出来事です。 ↑ よろしければ是非、一回押してやってください。。 まさかこんな展開になるとは・・・(汗) そしてバスに乗ってからも、またビックリ仰天が・・・(汗) 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[上海留学時代] カテゴリの最新記事
|