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CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行

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2008/07/06
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テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:上海留学時代


暫くして苗(びょう)さん達が戻ってきました。



「どうでした?」と私。



苗さんは首を振りながら



「しぇんしぇえ(先生)、すみません。

学校は賛成しません。

しぇんしぇえは日本人だから、特別に他のしぇんしぇえの2倍の給料です。

だから学校は、もうTAXIのお金は出せません、と言いました・・・」




うなだれる苗さん達。




「そうなんですか・・・」




2時間半で25元なら、時給に直せば10元(110円)/時。

もし普通の会社なら月に20日、8時間労働/日として 1,600元(17600円)。

この時点で苗さんの月給(1,000元)より多いわ。



それに教師の給料は、この国では安いから(文革の影響で)

学校も外国人だから、と多めにくれているのは、分かるよ・・・




* * * * * * * * * * * * * * * * * * *




当時、復旦大学(一流総合大学)で留学生に教えていた

老師の月給は350元(約3,850円)と聞いていました。

当時でも生活するだけで精一杯の給与です。



一生懸命教えてくれてる老師が、しかも復旦なんて

中国でも屈指の名門校の老師がそんな待遇だったとは、

老師が気の毒になるほどでした。



故に、違反でありながら一部の先生はコッソリ

留学生の家庭教師をしていていました。

老師に家庭教師を頼む場合の相場は月に500元(約5,500円)。

本業より儲かります。



家庭教師をする老師は値段交渉も厳しいらしく、

教育者なのに、まるで商売人のように感じましたが

この状況では仕方のない部分はあったと思います。



学生にしても、留学生とは通常「相互学習(互いの言語を教えあう)」

でしたが、一部の大学生は家庭教師をしていました。

1回10元か20元が相場だったと記憶しています。



とにかく庶民はみな、余裕のない生活から抜け出そうと

何とか収入を増やす為に出来る事は違反でも何でも、やる。




丁度、産業も盛んになっており物資も増えてきていましたから

物質欲も刺激され、更に拍車がかかっていました。




子供の将来、家族の幸せを考えて、

なりふり構わず豊かな生活と幸福を手に入れる。

それには、先ず「カネ」




このような極端な風潮は

向 銭 看(拝金主義)と呼ばれていました。





それまでの食うか食われるか、支配か搾取の歴史からの

脱却として社会主義国が誕生したのですが。

経済発展の行き詰まりと政治混乱から

また市場経済を取り入れた急激な方向転換。



元々コネと賄賂が横行していた人治政治に

関連法規が整わないまま、そしてルールを遵守しない風潮の中

競争主義を取り入れた事で、欲望むき出しの

目的をカネとした「何でもあり社会」が出来上がっていました。



我先にと勝ち急ぐ、ルールもへったくれもない人生ゲーム。

いや、彼らにとっては現実そのもの。

そして国家も、国民の飢えを満たし政情を落ち着かせる為、

且つ諸外国と肩を並べようと経済発展を目指す。



これこそが今の中国発展の原動力だったのですが

私のような外国人の目には、

それは非常に矛盾をはらんだ

奇妙奇天烈な社会に映りました。




* * * * * * * * * * * * * * * * * * *




話は戻って。



学校がTAXI代を出せないなら、仕方ない。

気をつけて帰ればいいや。





そう思っていると、また苗さん達が会議を!(~~;





侃侃諤諤(かんかんがくがく)やっていますが?






みんなで先生にTAXI代をカンパしよう






そんな議題になってる・・・(~~;(←聞き耳立ててる)






でも、この提案は、賛成者が少なくポシャってました^^;






そりゃね・・・

みんな収入多くないもの。

身銭切ってまで、できないよ・・・(うんうん)





しかし、苗さんがまた新たな提案を!(~~;(←聞き耳立ててる)






先生を寮まで、送って行こう!







エ~~~ッ???(゜▽゜;)

・・・メチャ遠いで!





これは、若手から反対の意見が出たようでした。




そりゃそうです。


私を送って行くのに1時間半かかって、そこからまた

自分の家に帰るのですから、何時間かかる事か・・・




まあ、しかし。


この提案もポシャるのだろうと、

苗さんと若手のやり取りを、素知らぬ振りで聞いていました。





すると苗さんは







「先生が大変なのに、
お前ら何言ってんだっ!!(▼皿▼)」








一 喝 







ヒョエ~!!(゜▽゜;) ←私






若者達は、黙ってしまいました。






「しぇんしぇえ!^▽^」(←ニコニコ笑顔)

「あ、苗さん(汗)」(←今気付いたふり)




「私達が、しぇんしぇえを寮まで送ります!」

「え・・・(汗)でも、みんな困りますよね。遅くなるから^^;」




「大丈夫です!みんな賛成です!^▽^」

「え・・・(・v・; だって、さっき大きな声で^^;」




「大丈夫です。心配しないで。みんな賛成です^▽^

 な、みんな!」






うつろな目で、うなづく若者達。



・・・無理矢理やな(汗)






結局。

苗さんが「大丈夫、大丈夫」と言うので

私も、送ってもらわざるを得ない状況になりました。







私 「では今日、私は誰と帰りますか?」


苗 「私と、彼らです」



私 「5人も!?いや、それは~(汗)」


苗 「大丈夫です、心配しないで」






いくらなんでも、それはイカン。

一人で帰れます、と何度も断ったのですが。

結局、苗さんに押し切られてしまい

護衛団(?)と共に、帰宅する事に・・・。






えらい大ごとに、なってしまった・・・(><;





授業時間が終わり。


張り切る苗さんと、また盛り上がってきた生徒達、

そして恐縮しまくりの私は

バス停へと歩いて行きました・・・






つづく。






*このお話しは、1995年上海での出来事です。




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まさかこんな展開になるとは・・・(汗)

そしてバスに乗ってからも、またビックリ仰天が・・・(汗)



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最終更新日  2008/07/12 11:04:12 PM
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