8月4日(日)AM6:00
再び行商スタイル。(リュックでかいので)
時間通りリン先生が迎えに来て、寮を出発。
先生は前日と打って変わって
「北京行きを一日延期して今日は天津を観光しませんか?」
等と言い出しましたが
昨日の今日だし、待ち合わせもあるし
私もヨウコちゃんは丁寧にお断りしました。
先生は大変残念がったのですが、
私とヨウコちゃんは前日と違う先生の態度に『?』
「バス停まで送る」という前日の言葉に反し、
先生は「駅まで送る」と言い出し
『一体全体どうしたの???』と思いましたが
送ってくれるのは有り難いのでお言葉に甘える事に。
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駅に着くと、切符売り場へ。
ここでも先生が動いてくれるので成り行き任せで
後をついて回りました。
いくつかある窓口を確認して、ある窓口へ向かうリン先生。
「この窓口は何ですか?」
「外国人用の窓口です。外国人料金がありますから。」
当時は兌換券なんてものがあり、また外国人料金も。
公共の施設(列車、飛行機、入場料など)では
外国人料金といって中国人の何倍かの値段設定がされていました。
先生は軟座を買いました。
上記、ほぼ等倍の切符(表と裏です)
当時の列車切符は約1.5ミリ厚の厚紙でした。
上(表)の赤い斜めのハンコは「外匯券」とあり
外貨兌換券で購入した事を表しています。
1元って書いてますけどね、そんなに安かったんですかね(驚)
内心 『え?軟座??(汗)』 と思いました。
これは日本でいえばグリーン席で貧乏旅行者の
選択ではなく、しかし先生買っちゃったし・・・(汗)。
「自分で払います」と申し出ましたが、先生は「いいです」と。
おごりでした。
先生はホームまで見送る、と入場券も買いました。
何だ、この変わりようは・・・????(~~;(~~;
軟座の待合室は普通席と別になっていて、
大勢の人が待つ普通の待合室とは別の
西洋人や数人しかいない待合室へ入り椅子に座りました。
前日と扱いが随分変わった事にとまどい
私とヨウコちゃんは黙っていたのですが・・・
「昨日、私は両親に叱られました」
とリン先生。
・・・叱られた?(~~;(~~;
先生 「自分の生徒が日本から来ているのに
何故、食事にも誘わない?何故、世話をしない?
と叱られました。」
私達 「・・・・(~~;(~~;」
先生 「なので、僕は慌てて君達の部屋に行って
食事に誘いに行きましたが、君達は部屋にいませんでした。」
私達 「ああ・・・前川先輩に電話掛けに行ってて・・・(汗)」
先生 「今日も観光に行きたかったのですが
もう君達は用事があるし、行けなくて・・・」
私達 「ああ~~~(汗)」
先生 「ハァ~・・・(ため息)僕は、こういう事が多いんです。
本当に気が利かない」
先生がうなだれて、自分の頭をコツンと叩き。
私達は何も言いませんでした。
しかし先生の 「コツンと自分の頭を叩く」 という反省のポーズに
私はどこかしら 「昔風(むかしふう)」 を感じたのですが、
勿論、顔には出さず黙っていました。(汗)
まあ・・・悪気はなかったんだな、と思いました。
先生も人間だからな、ただ気が回らんかっただけなんだな。
そして検票(切符チェック)の時間が来て中に入り
ホームで列車を待っている時、
リン先生は先生の顔になってこう言いました。
「ここから僕は、着いて行けません。
とても心配しています。
・・・・・(考)・・・・・
・・・僕は、中国人が悪い人ばかりとは言いません。
親切な人も沢山います、でも悪い人もいます。
悪い人は色んな事を言って騙してきます。
知らない人は相手にしては駄目ですよ。」
「はい、分かりました!」(うなづく)
「何かあったら警察に行って。気をつけて下さいね。
約束して下さいね」
「はい、分かりました!」(真剣にうなづく)
そして列車が来て、私達が乗り込み。
窓越しに何度も「気をつけて」と言う先生。
やがて列車は動き出し、遠くなっていくリン先生・・・
・・・が、なんと!
先生が手を振りながら、ホームを走って来る!
青春ドラマだ~~!!(驚)
このベタな展開に、とまどいながらも(汗)
私達も、先生に答えて手を振り続けました。
謝謝老師ーーーーー!!!!
天津に・・・
中村雅俊を、見ました(驚) ←古いっっ!!
* * * * * * * * * * * * * *
先生の姿も見えなくなって、周りを観察すると。
乗客はホントにまばらで。
軟座はシートも立派で乗務員も静かに歩いているし
小テーブルにはバラの造花が飾っているし
バックパッカーには、およそ似つかわしくない瀟洒な雰囲気でした。
私とヨウコちゃんは。
前日にショックな扱いがあったとは言え
今日はそれを挽回しようと一生懸命にしてくれた
先生の気持ちを感じ。
そして、こんなに立派な席で天津を送り出してくれた先生に
改めて感謝し、次の目的地・北京へ思いを馳せるのでした。
つづく。
この話は1991年の夏の出来事を書いています。
古くて、すみません!良かったら一緒に当時の中国を感じてください。
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思いがけずリン先生が中村雅俊に変身してしまいました(笑)
人間の行動って、その時の社会環境表していると思います。
先生の昔風の感情表現というか行動に、中国の社会環境が日本に比べると
まだまだ固くて昔風なんだろうか、と感じました。
それと、何か面白いな、と思いました。
こんな身近な人間関係ですら、ちょっとした事で嫌になったり誤解したり。
でも先の事なんて、どうなるか分かりません。
「あの人はどうだ」「これはこうだ」と決め付けてしまうと勿体ない。
何事にも常に変化の可能性を、信じたいな、と思います。
・・・で。
次回は、そろそろ兌換券の説明か、若しくは北京入りか、どちらかの話になりますかね。
気分でいきます^^;
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