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CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行

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2008/09/02
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テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:中国旅行

2007313143920538.jpg


■外匯兌換券、略称<外匯券>

中国改革開放初期。

旅行業界と対外経済文化交流発展に伴い、
訪中の外国人や華僑、香港・マカオ・台湾同胞は日増しに増え、
専門に服務するホテル・商店等が増加。

当時、中国国内では外貨の流通が禁止されていた為
彼らの物品購買や費用支払いの便に、また人民との区別の為、
国務院が中国銀行に外匯兌換券
(forein exchange certificate)の発行を授権

1980年4月1日

中華人民共和国境内にて外貨と交換できる特殊な人民元証券が発行された。

計7種の額面で、一百元、五十元、十元、五元、一元、五角、一角。

9版に及ぶ。

外匯兌換券の表には中国の風景名所と中国語の“中国銀行外匯兌換券”
の文字と金額、裏には英文で
“BANK OF CHINA FOREIGN EXCHANGE CERTIFICATE”

及び中英文字で“本券は人民元と同価値である”
“本券は中国境内指範囲で使用,紛失せぬ事”の文字と金額が印刷されている。



1994年1月1日
に発行を停止。


1995年1月1日には流通を停止し、外匯券は約15年の役目を終えた。




9312-31.jpg

1993年12月31日、中国銀行北京分行にて。企業担当者が
外匯券をドル口座へ振り替えようと並ぶ様子。





93-1231.jpg

1993年12月31日、北京王府井の外貨宝石店前。多くの人が宝石を買おうと並んだ。






■見知らぬ紙幣


80年代、一部の大都市の居住民以外、一般人は外匯券を知らなかった。
その為、外国客に多くトラブルをもたらした。

ある外国客が、国営の小さいレストランで食事し外匯券で支払った時、
マネージャーが外匯券を見て目が点になり、一もんちゃくあった後、
受け取り拒否され人民元での支払いを要求された。

当時の規定では、外国籍の者は外匯券しか使用できず
人民元を持つ事は違法であったので有しておらず。

最後には運転手に人民元で支払ってもらった。




■友誼商店


長沙市の“友誼華僑商店”は1981年に創設、4階で主に高級品を経営していた。

中国商品経済は、まだ発達しておらず、
平均給与が僅か40元強の80年代に於いて、

友諠商店は外匯券で取引をする専門店であり、
1000元余りのスイス輸入腕時計、
金星ブランドのカラーTV等の高級商品・石鹸・洗濯洗剤・良質の布など
不足していた物資がそこにはあった。

兌換券は胸を張って4階に上がれる者が有する、
疑いもない身分の象徴であった。


  
広州友誼商店の元幹部は当時の状況を、こう語る。

「当時100HK$は30元の外匯券に交換できた。
外匯券と人民元が同価値だと言っても、
実際には外匯券の使用価値は人民元に遠く及ばない。

何故なら人民元では買えない物を買えたからだ。

555やマルボロ等の輸入タバコ、冷蔵庫、録音機、食品などを、
また8掛けの値段で、安く買えた。

なので当時の友誼商店、中国大酒店の出入り口では
外匯兌換券のブラックマーケット価格は約1:1.3だった。(対人民元)」




■外匯券の発行停止提案


物価混乱の懸念から外匯券の発行を停止を提案する。

中国銀行が発行する外匯兌換券は、
確かに外匯を有する旅行者に一定の便宜をもたらした。

しかし、また新たな問題が出現。

人民元では買えない物が、外匯兌換券では買える。
同じ物でも外匯券で買うと、人民元より安い。(規定では二者は同価値)

桂林の国営商店で国産の16インチ白黒TVの価格は728元、
国産録音機が374元。
そして友諠商店では輸入品の白黒TVが350元、録音機が263元。

明白である。

これは国会の「国内産業保護」の規定に符合しない。
必然的に多くの者が外匯兌換券の大量買いに走る。

そして人民元の価値を下げ、人民元の信用を損ない
国家金融市場を打撃し物価混乱を引き起こす。

群集のこの件に対する声は非常に大きく、
関連方面にて外匯兌換券の管理に対する管理強化を提言する。
可能であれば、発行使用を停止する。

<広西桂林市物価委員会 ■鉄堅>*■=マダレに「龍」
*1980年11月9日第3版、《建議停止発行外匯兌換券》より抜粋。




■考察


物資欠乏から豊富な社会へ

貨幣制度改革は経済改革の一部。

中国30年の改革で、貨幣制度改革は改革の端から経済舞台の中心へ進んだ。


20世紀の80年代の外匯券は外国人を満足させる特別な貨幣価値の記号だった。


当時、中国は物資が欠乏していた。
その為、国民の目には白酒、洋もく、自転車、TVを買える外匯券は身分の象徴
だけでなく、その価値は額面の価格以上であった。

人民元の購買力低下は物資の欠乏から来ており、それは糧票(穀物配給切符)、
布票(布配給切符)等で初めて消費できた。民衆の消費意欲は強制的に
抑制され、すると貨幣は当然外貨と正常な市場価格を維持できない。

故に人民元は国内の者専用、「外国人」だけ外匯券を使うことができた。
月収20元の者と、5000ドルの者の購買力が同じであるわけはなく、
同一の価格体系を用いる事は不可能だった。

90年代が始まり、改革の成果が見え始めた。
日用品の欠乏現象は殆どなくなり、布票・糧票等の配給切符は徐々に取り消され、
これで外貨レートの基礎が確立された。

外匯券も取消された、これは経済欠乏が消失したという意味である。

外匯管理部門は90年代初期から外匯管理制度を整え、
1994年1月1日から中国では各種の外匯内部保留、納入、額面管理制度
などが取り消され、且つ市場の需給を基礎に、単一の、
管理された変動為替相場が実行され、外匯兌換券は発行を停止した。

上述の各改革により1994年中国は順調に
人民元経常項目を条件付で兌換可能となった。

これは前代未聞の大進歩であり、この改革を通して、
経常項目は自由に兌換できるようになった。

市場は定価機能を回復し、14年にわたる外匯券のブラックマーケットも
一夜にして消失。そして人民元対ドルは大幅に反落した。




■別れの日


外匯券は、改革開放の試金石だった。

我々はこの石を握り、市場経済への認識を探索した。

外匯券を巡るこの15年の間、中国経済社会改革で無数の波が立ち、
多くの者が、その中に富裕の夢を見た。

外匯券は一つの価値尺度として、
中国人の市場観念の成熟と中国開放の自信を記録した。


1995年1月1日、市場は外匯券に別れを告げた。


しかし別れを告げねばならぬものは現在も、まだ残っている。


当年、改革開始に必要な特権方式を選択したが、

それらはまだ我々の生活に存在している。


我々は公平で、文明的な清算を進める事が必要である。



告別の歴史は尊いが、更に尊いのは


現在まで引き続いている特権方式と利益に別れを告げる事である。




1995年6月1日、北京王府井大街工商銀行分理所にて



9461.jpg



1980年4月1日に発行、1995年1月1日に流通停止した
外匯兌換券はこの日が最後の兌換日。


多くの人が兌換に来て、そして外匯券との別れに感慨を抱いたのであった。





「早かった。改革開放から、もう15年か。」





100y-uan.jpg






上記は、下記のサイト内容を引用・翻訳したものです。

http://www.thebeijingnews.com/news/reform30/2008/04-01/021@164710.htm

http://gansu.gansudaily.com.cn/system/2007/06/29/010396564.shtml

http://news.rednet.cn/c/2008/05/06/1500269.htm




* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *




現在外匯券は、投資対象(←これもかよ!)になっていて、
特定の券は、価値は上がっているようです。


例えば、1979版の50元(外匯券)は非常に珍しく
08年5月時点での最新価格は3500元左右。

1979版の100元(外匯券)は2000元、
1988版の50元と100元外匯券は1000元付近。




コレクターサイトを見ると、
まだまだ中国の人いっぱい持ってますよ。


こんな束の写真やセットの写真が一杯です!!(驚)



satu.jpg





↓これは、私がまだ持っている外匯兌換券と旧10元札。
(1ィ分札もあるけど、行方不明です(汗))

兌換券(上から3種)は、これだけ箱に閉まってて使いそびれましたw


zhi-bi.JPG







つづく。






この話は1991年の夏の出来事を書いています。
古くて、すみません!良かったら一緒に当時の中国を感じてください。




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↑ よろしければ是非、一回押してやってください。。



この旅と翌年の旅は、外匯兌換券でした。
当時は詳しい事分からず、
「何でこんなのワザワザ作るんだろうか?」と不思議に思ったものです。

どこかで一回、受け取ってもらえなかったですよ。
「これはお金じゃない」と言われて、『アホやな、この方が価値あるのに!』
と心の中でつぶやいて、人民元を払った覚えがあります。



そうそう、兌換券使ってもお釣りは殆ど「人民元」でした。
友誼商店くらい?いや、あそこも人民元のお釣りだったかな~?

「人民元はいくら持ってても紙屑」って言われてた時代でしたから

とても損した気分でした^^;




そう言えば、和平飯店(上海)の前にチェンマネ屋多かった。
も~・・・一杯いました(爆)

「change money?」ってオッチャンが寄ってくるんですけど。
高いレートで人民元と交換するってんですけどね。

見るからに怪しいから^^;

顔に「私は怪しい者です」って書いてると思うくらい
怪しかったです(^▽^;


騙された事例や違法行為だから捕まる事もある、
って書いてたから恐ろしくて。やりませんでした。



こういう人も、もう見かけませんよね。



今頃、何やってるんでしょうかね。コレクターか??




*次回は初北京の時の話です。




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最終更新日  2008/09/06 10:13:51 AM
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