CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行
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北京駅での事はハッキリした記憶がない。 断片的に出てくる記憶を繋ぎ合わせてみる。 先ず 下車した途端、ムウッと暑さが襲ってきた。 そして人・人・人、人の波。 どの人も、痩せて顔が汚れているように黒く 麻袋を担いでいたり、遠足の敷物のような赤白青のビニール布で出来た カバンを持っていたり、薄汚れた服を着ている人が殆どだった。 私が生まれてから、それまで見た事がない光景だった。 無理矢理似たようなのを探せば、戦後の闇市とか、白黒写真でしか 見た事がない混沌とした時代風景だったけれど それともまた違っていて何と例えれば良いのか分からない。 皆、表情がなかった。 喜怒哀楽は見えず、かと言って一目を気にするような 緊張感も一切感じられず、黙々と前へ進んでいた。 まるで満員電車のようで、後ろから押されたり、 ぶつかられたりして、私は『押すな、バカ!』思ったのだけれど 周りの中国人はおかまいなしで、いちいち反応している人もいない。 逆に私が押したり、ぶつかったりしても、 押された人が迷惑そうな顔で振り返る事は、ない。 人が多いんだから、仕方ない って事か? 本で見たり話に聞いたように、赤の他人には、 ここでは全く気遣い不要なのだと、感じた。 なら、いい。 ここの掟(おきて)がそうなら、私もその掟に従うまでだ。 そこで私も感情を麻痺させて流れに身を任せた。 周囲を、人間と思わず前へ進む。 これはこれで気疲れなく 「楽(らく)」 だった。 チラとヨウコちゃんを見ると、彼女も周囲に合わせ 感情を押し殺した表情で、前へ進んでいた。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 駅の外へ出た。 真夏の超暑い野外である。 湿気はあまり感じなかったが、きつい暑さだった。 目の前にはまた、見た事がない風景が広がっていた。 人・人・人。 しゃがみこんでいる者、寝ている者、 何をしているのか分からないけれど、 とにかく大勢の人が大荷物と共に駅前の路上にいた。 ブラジャーやパンツが透けて見えているような 服を着ている恐らく20代半ばの女性もいた。 今のようにファッションではない、ただ生地が安物なだけだ。 周囲の女性を見ると、白いシャツに黒やグレーのズボンの人が 多かったから、彼女はきっとオシャレのつもりだったのだろうが 下着が透けている時点で、かなりマヌケに見えた。 また身奇麗にしているわけでもなく、顔が汚れて不潔な 上の「オシャレ」だったので取ってつけた感があった。 そして大股びらきのガニマタで座っている。 パンツ見えててもお構いなしだ。 図々しいと言われる(日本の)オバチャン等、とっくに通り越していた。 スカートをバサバサ扇いで風を起こしている。 更にパンツ丸見えだが、本人も周りも気にしちゃいない。 鋭い目で、ふてぶてしい無表情だった。 こんな人が何人か、いた。 こう言っては何だが、同じ女性とは思えなかった。 取り敢えずパンツ履いて、服を着ているだけで 「教養」「品」など後から身につけたモノが一切感じられない。 暑いから仕方ないだろ、なりふり構ってられない、 と開き直っているようにも感じる。 堂々としているのだから、ここではこれも「アリ」らしい。 彼女のような人が、中国で女性として魅力があるのか 私は男性ではないので分からなかったが 日本の感覚とは全く異なる「女性」が存在していて それが受け入れられている光景を目にした。 違う価値観を感じたので私は良し悪しはつけず、 取り敢えず 「別物」 として受け入れた。 * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * ヨウコちゃんは早速、地図を買いに行った。 この辺の動きはさすがに段取屋らしく、本をキチンと 読み込んでいたようだ。 この地図は私の部屋の本棚にあった。 ヨウコちゃんが買ったような気がするが、私が持っているので 私がお金を払ったのかもしれないし、後でもらったのかもしれない。 とにかく1989年5月に刷られたものだし、この後北京に行っていないから この旅で買ったのは間違いない。 どうせいい加減に作ってるんだろう、と思っていたが バスの路線が細かく載っていて、案外キチンと作ってあり、頼りになった。 ただ私は方向音痴で、地図もよく分からないので ヨウコちゃんのナビに従う事になる。 先ずはヨウコちゃんが、この日宿泊したいホテル(予約してない)へ行く バスのルートを探した。 あった(らしい)。 1回乗り換えが必要なようだった。 駅から出ているバスに乗り、乗り換えが必要な地点で下りた。 だだっぴろい道路脇だった。 日本とはスケールが違った。 何車線あるのか、8車線か10車線くらいありそうな広さだった。 乗り換えのバス停を探して右に左に歩いた。 しかし、見つからない。 ・・・バス停、どこ?(汗) どうやら 早速、立ち往生してしまっている、ようでした。 つづく。 この話は1991年の夏の出来事を書いています。 古くて、すみません!良かったら一緒に当時の中国を感じてください。 ↑ よろしければ是非、一回押してやってください。。 北京駅の時、写真なんて撮ろうと思えませんでした。 カメラ取られたら嫌だし。 スキ見せて狙われるのも怖いし。 先ず身を守るのが優先だったので撮りませんでした。 今考えると勿体ないですけどねぇ~・・・ 仕方ないので風化しつつある記憶を文章で描写するしかないです。 当時の北京駅前の写真をネット上で探したりもしたのですが ありませんでした。 駅舎をメインにした写真はあるんですが何気ない人物メインはなかったです。 広州駅前はあったんですけどね、あっちは有名だったから。 しかし北はまた違った雰囲気だったので、ホントに惜しい事をした(--; さて北京駅を出てバス乗って。 早速迷ってます、行き詰ってます^^; 状況としては、真夏で通行人は極少。 車が少なくTAXIは殆ど見かけない。 人力車のオッチャンは見かけるけど、怪し~(--; さて、どうなるのでしょうか。 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非!
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