CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行
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中国初KFC・・・なんて書きましたが、 私はファーストフードが特に好きだったワケではなく。 実はウチは両親があまり好まなかったので その影響もあり 私も日本では年に1度行くか行かないかくらいでした。 それでも不思議なもので、 あの時、当時の北京で見かけた時には そこだけキラキラ輝いて見えたのですよ。 チェーン店だから、理屈的には世界中どこでも 同じ味で、同じサービスのはず。 ああ、あそこには馴染みの空間が・・・(感激) そう思って、この時は嬉々として。 砂漠の中にオアシスを見たような気持ちで 合流した友人達と4人で、ワクワクして店に入りました。 その一方では冷静に 日本との違いを観察しようと。 以下、観察結果と私の心の声です。 * * * * * * * * * * * * * * * * * 覚えている限りでは: 1)従業員は制服を着ていた。 カウンター対面形式で注文を受けるシステムも同じだった。 ↑『おお~一緒だ!(感激)』 2)カウンターの前は列などはなく。 人民が乱雑に群がり、全員が全員 店員に向かって札を突き出して大声で注文をしており 正に、早いもの勝ちのサバイバルゲームが繰り広げられていた。 そして店員は、自分の手元に近い札から順に受け取る形で、 注文を受け付けていた。 ↑『早いもの勝ちが、容認されている!?( ̄Д ̄;) 』 ええ~!?(驚愕) 3)一瞬あっけに取られたが。 しかし我々もすぐさま、早いもの勝ちに加わった。 ↑『郷に入れば郷に従え』 4)店員の言葉遣いは普通だった、でも接客の言葉遣いではない。 そして全くの無表情で、群がる客を機械的にさばいていた。 ↑『やっぱりな』 5)チキン・ドリンク・パンとのセットで11元(当時約300円)だった。 ↑『中国にしては高すぎる、ボッタクリやぞ』 6)店内はとても広かった。 ↑『国土面積の違いか』 7)店員がやたらアチコチにいて、壁にもたれて立って 客の様子をチラ見していた。 ↑『何をしているんだ?(~~)』 8)コーラの味は同じだった。 ↑当然だ。 9)チキンが固く、パサついていた。 圧力鍋をつかっていないようだった。 ↑『違うじゃねぇか!(`Д´;)』 10)ナオちゃんのパンがなかった。彼女は相当動揺した。 ↑『あら~(汗)でも、やっぱりな (・ ・;)』 11)「面倒くさくなりそうだから、もういいよ (´ー`; 」 ナオちゃんは泣き寝入りした。 みんな目を逸らした。 ↑『ごめん・・・私達も面倒くさい(汗)』 11)食べ終わってトレーをゴミ箱まで持っていこうと思ったが 周囲は全てテーブルの上に置いたままなので 恐る恐る、そのまま立ち上がった。 ↑『いいのかな?(不安)』 12)我々が立ち上がるとすぐに(7)のやたら多くいた 店員の一人が素早くやってきて アッと言う間にテーブルの上を片付けると、 アッと言う間に、また元のポジションに戻った。 ↑『そういう係だったのか!』 『仕事が早い! しかし、その心は、さっさとやって早く休む為だな!』 そして 『中国はセルフサービスではないのか!』 と驚いた。 13)そして店を出る時に 「謝謝光臨(有難うございました)」 抑揚のない声が聞こえ・・・ なかった(!) ↑『え!?アカンやろ!?それはアカンやろ!?(汗)』 (周囲の店員の顔を見て) 『怒れへんから今からでも言うてみ?言うてみ?(必死)』 14)暫し待ったが。 しかし店員は目が合っても無表情で見つめ返してくるか 無表情で足元に目線を落とすか、 もしくは、まるで見もしない。 ↑『アカンか?(汗) ・・・アカンか~!?(大汗)』 ・・・残 念っ!!!(><; しかし、形だけでも「サービス」は存在していたので、 これでも他に比べると、まだマシでした。 ・・・これでもね (T T) * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 以上、観察と心の声でした^^; そうそうKFCでは、ただ食事をしてただけではなく 内モンゴル行きの段取りを相談していました。 翌日には北京から出発するスケジュールでした。 ホテルの電話番号と部屋番号を交換しておきました。 切符は、食事が終わった後、一緒にCITSに行って 買ったと思います。普通寝台で129元(当時約3,500円)。 翌日、列車内で合流、として解散しました。 【おまけ】 KFC中国第一号店は北京前門店でした。 1987年11月12日、開店式典の様子。 踊ってるヨ! こちら1988年の様子。 行列のできるお店、ですね。 今でもマクドナルドとかKFCとか中国の人、好きだけど。 何ででしょうね。 中国の人にとっては収入によって高い安い、感覚違うだろうけど、 私的には材料コストから考えて、中国ではかなり割高に感じますが。 (コーヒー以外) 思うに、そこに 「非日常」 を感じるからなのかな、と思ったり。 他には 「雰囲気」 「異文化」 「好奇心」 「ステータス」 かな。 ソフト面では本国とはギャップがあるけれども 建物やシステムではアメリカ式をそのまま取り入れて 且つ御当地メニューをうまく取り入れて。 そしてアメリカ式の様々なイベントや演出。 その辺はさすがに世界的なフランチャイズだから 確固たる経営システムが支えてるんでしょうね。 プラス食べ物屋っていう食欲満たしてくれるものがあって。 実利的、且つ、ちょっとした「異文化」気分? そういう 「ワクワク」 する空間は、当時は全くなかったから 衝撃的だったでしょうね。 【おまけ2】 ついでに調べてみたらマクドナルドの中国第一号店は 深センでした。深セン解放路光華楼西華宮ですと。 1990年10月8日 開店。 KFCの方が、上陸は早かったんですね(考) 私、日本では全然行かないくせに 中国のマクド・KFCネタは、2回目です ^^; ちなみに1回目はこれ 【おまけ3】 《自分の心の声》 自分(A) あんた、ちょっと内容がしつこくないか? いつも通りだけど、説明が多くて長いんだよ(汗) 本当はファーストフードが好きなんじゃないのか??(→自分) 自分(B) いやいや、日本じゃ殆ど行かないよ。 ただ、今みたいに店があちこちない当時の中国では KFCやマクドは、馴染みの文化が感じられる、 数少ないオアシスの一つだったって事さ・・・ (´ー`)(←遠い目) つづく。 この話は1991年の夏の出来事を書いています。 古くて、すみません!良かったら一緒に当時の中国を感じてください。 ↑ よろしければ是非、一回押してやってください。。 ■フランチャイズも所変われば、やっぱり違うんだな、と。 欧米のも随分違う、と聞いてはいたので まるで同じとは思っていませんでしたが、 あの、全員が全員、札を突き出して早いもの勝ちっていうのは まるで市場か何かの「競り(せり)」のようでした。 基本中の基本「謝謝光臨(有難うございました)」も、待ったけどなく 『KFCよ、お前もか(汗)』 ちょっとした絶望感がよぎりました。 ■次回は、ホテルへの帰り道で買った「初スイカ」の話です。 チョコチョコっとサプライズがあります。 そして 「あれ持ってくれば良かった~!!!うわ~!!!」と、恐ろしく後悔するのです。 扉ページ←「ホーム」をクリック!で【今日の 小日記 (何それ、と言わないで^^;)】やってます。 私の日常の小ネタをチョコチョコ載せてます。そちらも是非!
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