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CHINA QUEST*中国にはまったOL⇒女性社長の人生修行

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2008/10/29
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テーマ:中国&台湾(3303)
カテゴリ:0810台湾出張


もう一人は台北で乗ったTAXIの運転手さん。



台北駅から出てすぐのTAXI乗り場で。

ちょうど順番が回ってきたのが、メガネに白髪の大柄の男性。


行き先を説明した後、車が走り出した。

後部座席のオジサマ達が話をしていると急に



「ワタシ、ニホンゴ、ハナセマセーン( ̄∇ ̄)」

「I CAN NOT SPEAK ENGLISH ( ̄∇ ̄)」




・・・話してるやん(゜∀゜;)



心の中で即、ツッコミを入れてしまった私。

後部座席の非関西圏のオジサマでさえ

「しゃべってんじゃん!(笑)」

笑って突っ込んでました^^;




このムードに気を良くしたのか

オジサンは 「私は23年と半年、外国にいた」

と、ある過去を語り始めました。。



* * * * * * * * * * * * * * * *



「若い頃、蒋介石を批判して捕まりそうになったので外国へ逃げた」



当時は言論の自由はなかったから

大抵銃殺刑。良くても無期懲役、だから逃げた。



しかし、とうとう追い詰められて密航した。

最初フィリピンに三ヶ月、その後シンガポールに行ったが

受け入れ拒否され、インドネシアに渡った。

インドネシアでは約2.5年。

その次のマレーシアに約15年、イギリスに約5年。




「え~~!?ホントに?(驚)」




想像もつかない話に驚く我々。




「台湾は1945年に終わった。」

「え?でも・・・(驚)台湾は存在していますよ」



「国民党が来た時点で、この国は台湾でなくなった。」





「日本は台湾に色んなモノを残してくれた。

鉄道を敷いて、街を整え、衛生を整え、教育を与えた。」




「日本人は台湾人に、約束を守り、規則を守る事を教えてくれた。

だが中国人は逆だ。彼らのやり方は如何にして騙すか、だ。

何か欲しい物がある。すると彼らは先ず騙そうとする、

騙せないと盗もうとする、盗めないと奪おうとする、奪えないと殺す。

これが彼らのやり方だ。こんなのがいいワケない。


だから台湾は、もう台湾でないんだ。」





「悪いが私は北京語をあまり上手く話せない。

嫌いだ。これは私の母国語じゃない。」


「じゃ、あなたの母国語は?」



「台湾語さ。」







そして・・・




「FU●KIN' K●T!!」

「FUC●IN' Ch●na!!」

「F●CKIN' ****!!!」




・・・もう「son of a bi●ch !!!」とか「Sh●t!!」とか連発^^;





日本人乗客は圧倒され黙って聞いてました(・v・;(・v・;(・v・;




***************




運転手さん、ひとしきり話して気が済んだのか

日本のカラオケDVDを流してくれた。

これ他のTAXIでもやってくれた。



気が利くTAXIは大抵用意しているのかな?と思う。




「ラオシーフ(←敬称)、今年おいくつですか?」

「26・・・フハハ。

・・・という事にしとかないとあんたに相手にしてもらえない」



「大丈夫ですよ。オジサン楽しいし^^;」

「え~っと62だよ。もう定年した」



「TAXIの運転はどのくらい?」

「定年してから始めて1年くらい。ボケ防止にやってる」



「私の両親は日本の教育を受けた。

言っとくけど、あんたより上手な日本語を話すよ、フハハ」

「そうですか(苦笑)」



「古文が分かるんだ。日本語の古文を」

「なるほど。そういや今は授業数も少ないなぁ~」



「時々、日本に行ってるけど日本人と話しても台湾人とは

全く気付かれないって言ってる。」


「へぇ~・・・」



「今の日本語は昔の日本語にあった優雅さはなくなっていて

何と言うか実用だけになっているらしいね。」

「うん・・・そうかも、ですね」




「現役の頃は神戸に行ったな。製鉄所あるだろ、そこに

自動車用の板材の話をしに訪問したよ。」



「弟は東京にいる。日本人の奥さんもらって子供3人。

生活費が高いから大変だって言ってるよ・・・」




***************




まあ、こんな会話だったんですけど。



その前の日本人を好きではない台南の運転手さんと恐らく同じ年くらい。

でも立場や環境が違うから、当然考えも違う。

私は彼らの話を台湾理解のデータとして、取り敢えず

「両方丸ごと受け入れ」です。



どちらの話も勉強になりました。




そして

台北の運転手さんの携帯電話番号をもらっておきました。

海外逃亡の辺り、細かい部分をもっと知りたくて^^;

何年に逃亡したとか、何故台湾に戻ってきた、とか。

聞きたい事色々あるから。


機会があれば、また乗せてもらおうと思っています。





今回も面白い運転手さんに出会えて良かったです。







つづく。







色んな人がいますよね。

これだから運転手さんとの世間話はやめられません。

さて次回は。

本題の出張について。背水の陣の台湾営業、どうなったのでしょうか?





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最終更新日  2008/11/02 11:51:28 PM
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