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田坂広志さんのサイトを拝見していたら、
「日本文化の底流にある主客一体の思想」 (表示されるページの下へスクロールしたところにあります) という文章と、雑誌記事が掲載されていました。 私が日ごろ漠然と感じていることを言葉にしていただいた感覚を覚え、静かに湧き上がる喜びや、満ち足りた気持ちになりました。 田坂広志さんの文章や発言には、どんな内容を語られているにせよ、それに対する愛情や肯定の視点を感じます。そしてなんとも心が満たされる感覚があります。 誰の内にも、男性的なエネルギー(攻撃、競争、統率する力など)と女性的なエネルギー(受容、共感、育む力など)が存在すると私は考えるのですが、 その両方を併せ持ちながらもソフトにそして知性を持った田坂さんの表現に、 それこそが日本文化の底流にあるものの象徴でもあるように思いました。 こちらのサイトに雑誌記事が掲載されています。 一部抜粋します。 日本という国には、もともと自と他、人間と自然を分ける二項対立的な発想はな かったのですね。「人為」によって為すのではなく、「大いなるもの」に導かれ て物事が然(しか)る「自然(じねん)」という状態に、日本文化は最高の価値 を置いていた。自も他もない、そこにただ世界があり、己も含めて一つの世界。 それがなぜか不思議なことに、自らの生命的な力により、生成し、変化し、発展 し、進化していく。それが自然(じねん)の姿だと観たのです。 (中略) 日本と言う国はいま人類社会に求められている価値観を先取りし、それらの問題 に処する知恵と文化を育んでいた国といえるのです。しかし、これは決して狭隘 (きょうあい)なナショナリズムで申しあげているのではありません。 (中略) 世界的にそうした大転換が起こっているとき、私たちが見つめるべきは、深く成 熟した精神、思想、文化を育んできた日本という国の土壌です。足下に日本的精 神、東洋思想、仏教文化といった豊かな土壌を持ちながら、一方で、科学技術や 資本主義、社会システムにおいて最先端にある日本という国は、いま、自らの歴 史的役割を自覚するべきでしょう。二十一世紀、日本は、「成熟した文化の力」 によってこそ、世界に貢献すべきなのです。 全体を読まれると、より頷首なさる方も多いかと思いますが、一部抜粋してみました。 まさに、思っていることを書いていただいて、単純に嬉しくもあり、だからこそ世界に、そして同じ日本にいる方々に、私はどのように発信したいのかな?と問いを温めています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年04月14日 09時12分38秒
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