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一昨日、昨日とPO法人パルシックさんの運営されている、石巻市のおちゃっこ(コミュニティカフェ)行ってきました。
昨年12月から毎月1回のペースで訪れ、その都度、2箇所のおちゃっこ「大街道」と「鹿妻」でパステル画を描くワークショップをさせていただいています。 パステルという画財は、ふわっとした明るいパステル調の色が出るもので、その色とりどりの画財を観ているだけでも心が和みます。 そのパステルを粉末状にして、指につけて描きます。 東京でも時々ワークショップをしますが、自然と大人が子供の気持ちに帰り、そして一心に集中して無心になって描くことができます。 同時に、自分の中に溜まっていた感情や澱のようなものも、色を通して外に出すことができるのです。 描く前から、「わあーきれいだねえ」「できるかな?」「わたし絵が苦手だから。。」といった声があがり 描き出すと「きれいな色がでるね」「あなたのきれいね」「・・・集中。沈黙。没入。。。」 終わる頃には、弾むような会話になったり、頬が紅くなっていたり、いきいきとしたエネルギーが部屋中にひろがったり、達成感や、自分らしい工夫をした満足感や、いろいろな感情の広がりを感じます。 今回は、先月パステルを描いた方のお孫さんが通われている小学校でもパステル画を描きました。 東京の友人が、震災から10日後くらいから石巻へ訪れ、支援のための仕組みを創り、石巻に滞在して関わり続けているのですが、そのご縁で伺うようになりました。 伺うとまず初めに、ハブになっている場所、大街道のおちゃっこへ行きます。 全国から訪れるボランティアの大学生や30歳前後の世代の男性、女性が、つねにそこにいます。 彼ら、彼女らは、2~3日から1週間、1ヶ月、長い人は数ヶ月という単位でそこに滞在していました。1週間程度の滞在を3~4回繰り返しているという人もいました。 おちゃっこでは、地域の方々がこられたら、無償でランチや飲み物を提供しています。ランチを作る担当の地元のパートの方もいらっしゃいます。 そして、地域の方々。 これらの方々全員が民家を改装したお茶の間に集い、それぞれに会話したり、和んだりしています。 カフェ終了後は、ボランティアとパルシック職員の友人とで毎日ミーティングをします。 前回から感じていることなのですが、 19歳~30歳前後の方々ひとりひとりの感想をうかがうたびに、そして、この場で色々な立場の方と接するたびに、「ここでは、何かすごいことが起きている」、と感じずにはいられなくなります。 何がそう思わせるのか?というと、 このカフェにある空気感は、ほんとうに貴重なもので、人と人との心のつながり、安心感、居場所を、ここにいる誰もが実感していることが手に取るように伝わってくるのです。 たった1泊2日の滞在を2回、3回しているだけの私でさえ、とても居心地よく心通わせられる空間なのです。 恐らく、人として生きている人誰もが求めていると思われる、心と心のつながりがここにはあり、ここを訪れた人はそれを実感していくのです。 まるで、親戚一同が集まったような、そんな温かく和んだつながりがあります。 地元の方の中には、大変な体験をされて、初めふさぎ込んでいた方や、独りになると涙が止まらなくなって気がおかしくなりそうだったとおっしゃる方も、ここに来て、地元の人たち同士で、そしてボランティアの学生さんに対して、なんでもない会話をしながらだんだんと元気になってこられたのだとおっしゃいました。 実はこのコミュニティ・カフェは、3月10日をもって、終了となるのです。 民家を無償で提供してくださっていた大家さんも、いよいよこの民家を貸しに出されるそうです。 ちょうど私が訪れた2月29日の夜は、地元の方々からの感謝の夕食会の日でした。 その会の席で、地元の方がおっしゃいました。「パルシックさんのお陰で、われわれはどれほど助けられたか。お陰で元気になれた。」と。 それを伺う私達は、NPO職員の1名を除き、滞在3回目の私、3日目、通算20日ほどの滞在の学生さん、1週間目の学生さん、3ヶ月滞在しているボランティアの方。と、短い期間の滞在の者ばかり。 そうです。この事柄に関して、実は感謝されるべき一人の対象者がいないんです。学生さんやボランティアの人は、皆、入れ替わり立ち代り訪れています。誰か特定のひとりふたりがそこにいる地元の人たちを助けたり支えたりしたのではないのです。 この仕組み、組織に対して、地元の人たちは感謝しておられるのでしょう。 実際には地元の方々は、私達にこころから感謝されていましたが、その感謝は、私たちを通して、これまでここに訪れた全ての人々や、その行動や、それを提供している組織体、チーム、人と人とが協力し合う有機体に対して、感謝をされているのです。 たまたまその日そこにいた私を含むボランティア9名とNPOパルシックの職員の友人1名が感謝を伝えられたに過ぎないのですね。 ここには100名ほどのボランティアが入れ替わり立ち代り訪れたと聴きました。 「「ここの地域には高い建物がない。条例で2階建てまでと決められているんだ。 もし、ここに高い建物があったら、もっと多くの人たちの命が助かったのにな。」 って、言われた言葉が忘れられない。」 学生のボランティアの方々が、こみ上げる涙を抑えながら、地元の方々のお話を伺った感想を話されていたのを聞きました。 特に意図されたわけでもないこのパルシックの仕組みによって、この甚大なる災害がもたらした一人ひとりの人の心や人生に与えた影響が、こうした若いボランティアの方々の心の中に引き継がれ、これから10年先、20年先、50年先の未来に、とてつもなく影響を与える出来事が、ここで静かに起こっている、そう思わずにはいられませんでした。 被災地といわれる地域の中でこそ、これからわたしたちが進んでいくべき未来が既に生まれている、 そんな風に感じる出来事でもありました。 この大きな痛みの出来事を、ともに分かち合い乗り越えていくのに、たくさんの学びや気付きや、融合がさらに起こっていくのだろうと感じた訪問でした。 春をテーマに描きました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012年03月06日 03時09分39秒
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