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カテゴリ:家族
私は弟が嫌いだった。 私が生まれた時、私は家でアイドルだった。 両親はもちろんおじいちゃん、おばあちゃん おじさん、おばさんもそりゃーみんな 「つばさちゃん、つばさちゃん」 っておっかけまわしていたもんだ。 アイドルの座は弟が生まれた瞬間に奪われた いまだに覚えているのが 小さな子供用の色とりどりで ちょっと大きめなビーズが入っているセットが 欲しくて祖父に買ってもらった。 大喜びで出産の為に入院していた 母親に見せびらかしにいったら 生まれてくる赤ちゃんが間違って口にいれたら大変だから 返品してくるように言われた。 今思えば母の判断は正しいと思うが まだ見ぬ赤ちゃんの為 自分ががまんしなきゃいけない事、 自分よりも生まれてくる赤ちゃんに優先権がある事 ものすごく子供心ながら納得がいかなかった。 自分の周りすべての人間の関心が 自分から小さい弟に移っていくのがイヤだった。 弟とはよくケンカした。 大きくても女の私と小さくても男の弟は 力が同じぐらいだったので 取っ組み合いのケンカはしょっちゅうで なかなか決着がつかず大変だった。 左の腕には弟の歯でえぐられた痕が もうわからないぐらい小さくなったがいまだに残っている しかもむかつくことに弟は要領がよかった。 夏休みの宿題は最初に片付けてさっさと遊びに行く。 夏休み最後の日でもたくさん宿題が残っている私とは大違いだった。 (そして宿題なんてもちろんやらない) 頭もよく、運動神経もよかった。 母親はそんな弟と私よよく比べていったもんだ 「あなたの方がお姉ちゃんなんだからしっかりしなさい。」 そんなセリフを聞くたびに反発を覚えたもんだ。 私がそんな風に思っていても弟はなかなかのいい子で 「僕がお姉ちゃんの年になったらお姉ちゃんに100円玉十枚あげるから」 とか言っちゃうんだ。 結局くれなかったけどさ。 そんなこんなでも妹を含めた私たち3人は仲がよかったと思う。 おやつは平等に分け合ったり、 ときにはぬけがけして隠れて食べたり よく3人でトランプしたり、 弟や妹なんかに負けるとこれまた悔しいんだ。 兄弟がいればこそ出来たこともたくさんあった。 子供の頃私たち3人はとても似ていて 「ウリみっつ」だねー こう言われるのが嬉しかった。 目に見えない血のつながりを 他人が指摘してくれることで なお、強い兄弟のつながりを感じれるから。 年を重ね、女性である私と男性である弟は 体つき、顔つきがそれぞれ変わり、 もう姉弟であるとはすぐにはわからなくなってしまったけど・・・・ 年を重ねたことでお互い大人になり 兄弟がいることの安心や心強さを感じている。 そんな弟ももう結婚するような年になった・・・・・ 弟がオーストラリア挙式で描いていたのは 青い空、広大な景色、日本では味わえない風景の中での 外国らしいけれども温かい感じの挙式だったと思う。 11月3日結婚式当日。 朝起きたらどしゃぶりの雨だった。 弟は頭も要領もよく、運動神経もよかったが いざという時に実力が出せない ちょっとツイていない子だった。 「あの子らしいわ。」 オーストラリアまで来て 結婚式当日が雨。 このものすごく運に見放れた感じが とても私の弟らしかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月14日 02時23分14秒
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