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ショットバーマスター

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Category

May 13, 2009
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カテゴリ:幸せなあり方編
shinryoku_003.jpg


いらっしゃいませ、マスターの濱田です。


26日からブログをお引越しさせていただくと

お伝えさせていただいていますが、

今日ウェブ担当の友人が、またデザインに手を入れてくれました。


少しの違いなのですが、ぐっと雰囲気がよくなってきて、

嬉しく思います。


マスターのプロフィール写真も、追加しましたが、

カッコつけてます(笑)。



こちらです

(よかったら読者登録してくださいね)




さて、わたしは、ある時とてもおもしろいことに気がついて、

それを楽しむようになりました。



それはなにかというと、

イヤな感情が、一瞬でイヤでもなんでもなくなるヒミツの方法です。

(方法というか、厳密に言うとセンスのジャンルかな?)



なにかちょっと気分を損ねるような出来事を見たり、

言葉を見聞きしたりした時とか、

自分が批判されたように

感じるようなことがあったとしますね。



で、たいていの場合、腹が立っちゃう。



「自分は悪くない」って感情が出てきたりとか、

相手のこと責めたり、反撃したくなったりとか、

そんな感情が出てきますよね。



で、多くの場合は自分でもよくわかんないうちに、

アタマに血がのぼちゃったりして、

正当化をはじめちゃいます。



いかに自分が罪のない被害者なのかを

自分の中や外で証明したくなるってヤツです。



で、これら一連の感情はスイッチを入れたら、

電気が勝手につくように、

ほとんど自動的に行われるように、

(過去の様々な経験から)

回路ができちゃっています。



ゆえに、ほとんど無自覚に、自動的に反応し、

自分が自動的に反応していることに、

気づかないことさえ、気づかないわけです。



で、ある時気づいてためしてみて、

「おお、これおもしろい」と感じているものがあります。



それは、「批判されていると感じているのは、

自分ではなく、自分の自我だったんだじゃん」って、

自分で言葉にしてみるというものです。




これがわたしには、実におもしろい結果につながりました。



すっと、センターに戻るというか、

こころがとても静かに、穏やかになるのです。



よく悟りをひらいたお坊さんや、聖者の話に、

無我の境地というものがあります。



無我とは、読んで字のごとく、

「我(自我)」が無い状態のことです。



この境地に至ると、自分というものがあると思い込んでいたのが、

実は幻想であることに気づいたり、

すべてはひとつであることに気づくといわれています。



さて、この無我の境地は、修行をしたり、

ある大きなきっかけから至ったりするものだと言われています。




が、これが自分だと思っていたもの「我」と、

我ではないホントの自分「真我」というものは、

別なのだということは、なんとなくは理解できます。



どんなのかというと、たとえばわたしの場合だったら、

濱田浩朱という名前で、42歳で、2人の子供の父親で、

セミナー講師で、個人セッションをやっていて、

ブログやメルマガを書いていて、こういう友人たちがいて、

こういう性格で、これが得意で、これが苦手で、

これこれこういう経験をしてきた人、

「これらが自分」って思い込んでいました。




そして、それがしごく当たり前のことで、

それが不思議だともなんとも思ってきたことがなかったわけです。




ところがある時、わたしは気がつきます。

(実際にはある朝、ぼーっとしていた時でした)




ああ、自分ってホントは名前もなくて、

歳とかいろんな思い込みも関係なくて、

何も欠けてない、完璧な存在で、

今まで自分だと思っていたのは、自分の自我だったんじゃん。




実は自分は、名前もなにもない存在なんじゃん

って気がついたわけです。




で、話を最初に戻します。



わたしたちが自分だと思っていたのは、

ホントの自分ではなく、

これが自分だと思っていた自我だったわけです。



たとえば、わたしが濱田浩朱が自分だと思い込んでいる状態だと、

批判(に感じる)言葉を聞いたいりすると、

濱田浩朱が批判されたと感じてしまうわけです。




そしたら、いろいろな感情が出てきます。



「俺は、講演家だぞ」とか、「すごくがんばってきたんだぞ」とか、

「お前は俺のなにを知っているって言うんだ?」とか、

いろんな感情が出てきます。



そして、自分の経験や自分に関わる周りのものも

批判されたように感じて、自分自身を批判されたように感じてしまいます。



なぜなら、それら自分を自分と表現する「要素が自分」

だと思い込んできたからです。

(↑ここが超重要です)



ところが、批判(されたよう)に感じたのは、

実は自我のことであって、本当の自分のことではないんだって、

自分自身に言ってみると、まるで魔法のように、

すっとこころが静かになるんです。



これは、悟ってないとできないかというと、

そうではないようで、

不思議と誰もがこころがすっと静かになるのを体験します。



ただ、そんな簡単に正当化から降りたくないという

自我への執着が強ければ、容易には静かにはならないかもしれませんが。



でも、「ああ、ホントの自分のことじゃなくて、自我のことだったんだ」

って言葉を口にしてみると、不思議と静かになるのは、

何人もの人たちが試してもらって、体験しています。



まさに言霊の力なりって感じです。



さきに方法というよりは、センスとお伝えしたのは、

これは知識やスキルのジャンルではなくて、

実際にやってみて、そこで「感じる」ものだからです。



知るのではなくて、実際にやってみて、

勘をとるといった感じでしょうか。



よかったら試してみてください。



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本日は当店にお越しいただき、本当にありがとうございます。

またのおこしを、こころよりお待ちしております。



いってらっしゃいませ。







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Last updated  May 14, 2009 12:59:12 AM
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