今週1週間、幼稚園は参観週間になっています。日にちも、時間も指定がないので、
いつ行ってもいいらしい。今日はやめて、そのうち行こうと思ったのですが、
なんかいろいろ考えていたら、やっぱり今行こう!と急に思い、行ってきました。
朝の会が見たかったのですが、朝の会は10時過ぎから。家を出たのも10時過ぎ。
見れるか見られないか微妙でしたが、急いで行って何とか間に合いました。
変わったとはいえ、やっぱり心配だったんです。自分の目で見て、安心したかったんです。
行ったらちょうど名前を呼ぶところでした。しっかり手を挙げ返事をしていました。
立って歌も歌えていました。手遊びもしていました。お祈りはきょろきょろしていましたが、
今月の聖句もしっかり立ってみんなと言えていました。
1学期とは全くもって違います。180度違います。心から安心しました。
みんなと同じことが出来るようになったことが嬉しいのではなく、
自分が出せるようになったことが嬉しかったです。
園長先生とも話していたのですが、急激な変化に先生もびっくりしたそうです。
9月から新しいお友達が入ってきたのが、いい刺激になったみたいです。
自分が教えてあげなきゃという、お姉さんになったような気分だったんでしょうね。
今じゃ、ちょっと黙ってて!というくらいよくしゃべるそうで、園長先生も笑っていました。
でもその言葉でさらに安心しました。お母さん、もう大丈夫ですよとも言われました。
人間は本当に10人10色です。親が一番子供の性格をわかっているような気がしてましたが、
本当はわかっていなかったのかも。性格をわかって、その子にあった接し方、環境を与える
というのは、本当に難しいと娘を通して感じました。その家庭の教育方針は、あくまで
親の決めたことであって、子供にあっているとは限りません。子供に負担になっていることも
あると思います。それがうちの例ですね。
私は、子供にいろいろな経験をさせてあげたいと思っていました。
人を通して学ぶことって本当に多いからです。それが良いことでも悪いことでも。
だから、保育園にも1歳過ぎから通わせました(通わせたというより、仕事のために
預けたのですが)。手話講座やサークルに通っていたので、一緒に連れて行きました。
他にもいろいろなとこに連れて行って、いろいろな人と出会う機会を作ったかも。
でも、それが娘には負担だったのかもしれません。余計に不安を作ったのかもしれません。
子供の成長には、過程ってあるんですよね。母子形成の時期、分離の時期、それらが
ちゃんと踏まれて、子供は安心して親から離れることが出来るのだと思います。
自分には帰るとこがある、待っててくれる人がいるってわかるから。
娘と私の間には、それがちゃんと形成できていなかったのかもしれません。
それに気付いてあげることが出来なかった。だから娘は不安を抱え、
しかも幼稚園という知らない場所、知らない人の中で、必死に耐えていたのかもしれません。
さらに、娘の極度な人見知り、場所見知りも邪魔して。
今は本当にいい方向に変わりました。母子分離がうまく行き始めたのかもしれません。
「お母さんはお家で待っててね」という言葉がよく出てくるので、家で待っててくれるという
安心感ができ、娘は幼稚園に通え始めたのかもしれません。
娘を通して、本当にいろいろなことを勉強させられ、気付かされます。
子育ては、子供を育てるのではなく、子供に育てられるという話を聞いたことがありますが、
本当にその通りですね。娘の1学期の問題は、私に親としてもっとしっかり子供を
みなさい、という神からのメッセージだったのかも。