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2011年03月20日
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amneris84 Shoko Egawa

東京消防庁の会見。

11日に原発での災害を認知。
12日から、このようなN災害に対しどのような戦術でいくかを検討。
屈折放水塔車、大型化学車、40メートルのはしご車の3方式を考え、
いつ出動になるかは分からなかったが、
16日にどの方式が効率よく隊員を危険にさらさずにすむか実験した


どうすればシンプルにできるか、を考えた。

17日に出動命令があった。
機械があれば8分20人でできる作業だったが、
現場の状況が悪く、人手でホースを広げなければならず、
現地に行ってから計画を再構築した。

当初ははしご車を使うつもりだった。
しかし、これは毎分1100リットルの放水で、
風が強かったので流されてしまうということで、
3800リットル出せる屈折放水塔車にした。

これだと高さは22メートルしかないがまとまった太い水量を送り込める。



注意したことは2点。

1つは、担任の呼吸管理。
一番恐ろしいのは体内被曝と聞いているので、2時間使えるボンベと防護服を着装した

第2に放射線量。
一般では10ミリ、 緊急の場合は30ミリで、
よほどの場合は一生の間にということで100ミリを許すということになっている。
専門医の同行もしてもらった。
被曝量は、27ミリが最大。
最初に入った測定車で現場をあちこち確認して滞在時間が長かった石井隊長。
14~15ミリが3人、10ミリ以下が45人だった。
今の心境を聞かれ、冨岡豊彦隊長と高山幸夫隊長は「達成感でいっぱい」と。



冨岡隊長「どういう危険があって、どういう活動ができるか。
今までの訓練のように活動できるか。このメンバーであれば何とかなると思った。
隊員は士気が高く、みんな一生懸命やってくれた。
家族には申し訳ない。この場でお詫びとお礼を申し上げたい」と涙ぐむ。

高山隊長「常に我々の側で測定して声をかけてくれるバックアップしてくれた仲間がいたからできた。

現地に行く前、妻には「派遣命令だから行ってくる。必ず帰ってくるから」とメールした。妻からは「信じて待っています」という返事が来た。

冨岡隊長は命令が出た時に家にいた。妻、長男、長女に話をして「安全確保されない限り仕事しないから安心しろ」と行って家を出た、と。

佐藤康雄総隊長は妻に「これから福島の原発に行ってくる」とメールして出かけた。妻からの返信は「日本の救世主になって下さい」と。







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最終更新日  2011年03月21日 10時55分59秒
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