カテゴリ:映画・ドラマ
アヒルの子。 「親はさやかを捨てたわけじゃない。 手元において世界を見せないのは親のエゴ。 子のために親はエゴを捨てた」 これは親の言い分。 でも5才のさやかちゃんに必要なのは 広い世界じゃなく親に守られた安心できる世界。 親にそれを突き詰めた勇気がすごい。 蓋をして行きすぎなくてよかったね。 たいていの人は蓋をして、なかったことにしてしまう記憶を、 確かめ、突き詰める姿は、面倒臭い娘。 でも、その勇気を作ったのもオヤなのかもしれない。 やっかいな娘をやっぱり可愛い大事な子だと思う親。 親子は捨てるのも捨てられるのもできないやっかいな関係ね。 5才の自分を見つけるためにヤマギシの同級生を尋ね歩く。 寂しかった夜や叩かれた恐怖と同時に、 笑ってる自分や友達も見えてくる。 現在の意識が描かせる過去の気持ちと、 現実の客観的な過去の狭間で とまどったりホッとしたり怒りを新たにしたり。 まさに去年の私。 家族に捨てられないために、家族がうまく回るために さやかちゃんは生きていた。 映画の最後には 「いろんな人と生きてるんだな、生きていてよかったな」 とさやかちゃん。 さやかちゃんはお兄ちゃんを許せない。 踏み付けてやりたいくらい。 だけど前に進むためには仕方ないと。 私も母を憎くて許せないけど、前に進むために逃げ続けている。 何が違うんだろ? ようわからんかったなぁ。 何がさやかちゃんのわだかまりを溶かしたんだろ? 親に愛されてることを確認できた? 若いときに気付いてよかった? でもラストで眉間のしわがとれてよかった。 ぶつけることは大事なのかもね。 これから幸せに向い足を踏み出せるのかもね。 起承転結とか因果関係をきっぱりしたい向きには欲求不満かも。 自分で自分を描く手法は刺激的。 映画自体の感想でなくなってごめんなさい。 さやかちゃんの生き直しの迫力には 考えさせられることがたくさんありすぎた。 オヤは重たすぎて私は逃げたままいきそう。 さやかちゃんに幸あれ。 次回作も注目しています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年08月16日 00時14分22秒
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