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カテゴリ:雑談
関ヶ原検索をしていて出現。
原料米:美山錦 精米歩合:55% アルコール度:15度~16度未満 最上義光のこと 最上義光(もがみよしあき)は天文十五年(1546)、 清和天皇を始祖とする名門出羽最上氏の第十代最上義守の 嫡男として山形城で生まれた。永禄元年(1558)十三歳で 元服し、将軍足利義輝から「義」の字を賜り「義光」と名乗る。 家督を継いだ義光は、群雄が割拠する東北地方に確固たる領地を 築くべく奔走した。義光は無益な殺生を好まず、戦においても 人命を最も尊重した武将である。このことは義光が実践した 戦術をみれば明らかである。 慶長五年(1600)の関ヶ原合戦、ここ山形でも「東北の関ヶ原」 と呼ばれた戦があった。東軍の最上義光と西軍の上杉景勝の重臣 直江兼続が戦った「慶長出羽合戦」である。義光は絶対的に不利な 状況から勝利し、盟友徳川家康との約束を果たす。後にこの功績から 義光は山形県の置賜地方を除く全域と秋田県の南部まで領する 五十七万石の大大名になったのである。 義光は「人命を重んじた戦上手」と言うだけではない。文化人としても 一流の評価を得ていた。特に連歌では、当代一の連歌師里村紹巴に師事し 現在確認される連歌の数・質ともに戦国武将ではトップクラスである。 義光が山形に残した業績は計り知れない。巨大な山形城の構築、 現在の山形市の原型となる城下町の整備、最上川舟運の整備、 紅花栽培の奨励、庄内開発など枚挙に暇がない。幕末の儒学者塩谷宕陰は 彼を「虎将(こしょう)」と称してその偉業を讃えている。 義光はまさに四百年前に「出羽の虎将」として現在の山形発展の 礎を築いた武将なのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年10月08日 15時35分55秒
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