大人
19歳の私が他人より秀でている所。 そう考えると私は容姿も頭脳も人並み以下人生経験に至っては人並み以下どころか最底辺。だけど小さい頃からの環境上"大人"と出会ってきた数は同い年の子達に比べたら郡を抜いてるんじゃないかな。 "大人" 私だってただボーっと与えられた時間を過ごして来た訳じゃない色んなタイプの大人という称号を与えられた人達を見てきたの。 学校の先生、犬の散歩仲間のオバサン、両親、親戚、カウンセラー、医師 "大人"という称号を武器に高圧的にモノを言ってきた人もいれば"子供"の私のペースに合わせてくれた人もいたし単に、"人"を見る目が無いんだなって思う人も居た。 私の小学校2年時の担任は生徒に本を読ませるのが好きなのか読書は大事だというのが教育方針なのか矢鱈と授業のコマを裂いてクラスを図書室へ導いては子供達に本を読ませ、本を元の場所に返却してきた子達に一声掛けて『すごいね、もうこんな難しい本読めるんだね』『先生もこの本小さい頃読んだんだけどね、』等と自分の知識を織り交ぜて話す。彼女は文学史を好んで選ぶ生徒に贔屓目な一方絵本の片隅の小さな染みにまで目をやってしまう私には『…絵本一冊にこんなに時間掛けて、本当に本が嫌いなのね。』と言い放った。あの嫌味たっぷりの笑顔を私は忘れない。又ある日は、死んだ金魚を給食時間中にグラウンドに埋めて来いと言われその通りにした所校長に給食はどうした!とお咎めを食らい素直に『○○先生が今の時間でも構わないから埋めて来いって…』と告白し何とか解放されて教室に戻った私に対して『…校長先生なんて…?』とゴメンネの一言も無かったこの第一声と引きつった彼女の顔を私はまだ覚えてる。そして、逆に彼女は覚えているだろうか忘れてはいないだろうか果たして気付いているだろうかテスト当日に休んだ生徒だけを、後日自分が他の生徒を授業している間試験監無しで隣の空き部屋で再テストをやらせたあの日。私達再テスト組はグルに成った。お互い知ってる問題の答えを教えあったって結果は勿論百点。皆で一斉にプリントを返却しに来た事を怪訝に思ったのか彼女は『皆一斉に終わったってこと?』と声を掛けてきた。私はすぐさま『全員が終わるのを待って帰ってきました。』と返した。あなたは覚えてますか?忘れましたか?気付いていました?小学2年生の浅知恵。子供の邪心。 その点、中学校の時通っていた学習塾の先生は私からしたらとてもイイ大人だった。いい所の奥様な彼女の口調は、何時もマダム仕様。しかし、決して優しくは無く、その優しい口調でキツイ一言を掛ける一味変わった万人に受けるタイプでは決して無かっただろうと今は思う。そして今分析すれば彼女が個人塾を開いた理由子供に勉強を教える事で受け取る一番の利益、報酬は色んな生徒を教え色んなタイプの子供が居るという事を知る。そういう"生徒を知る事"だったのでは無いだろうか。そこから自分の見解、見聞を広げ、人と接し、この人はどういう人かを考える。彼女は人を知る事を好み、逆に生徒から色んなものを吸収していた人だったんだと思う。その証拠に彼女は現在塾を閉鎖した後、心理学を学んでいるそうな。今思えば、当時時々彼女が私に向ける眼差しに私は心の奥を探られてる気分に成った事が何回かあった。気のせいかな?考えすぎかな?彼女だったら今尚こんな戯言を言っている私に又ご自慢のキツイ、けれども決して的を外してはいないそういう一言を掛けるのだろうか? 子供っていう人はね、それならではの感受性で色んな事を感じとっては観察して大人という人をちゃんと見ています。上記に挙げた二人の大人という称号を与えられた人達の事人間として優れている人か、そうでない人かは差し置いて私は多分両者とも好きだったと思う。ただ、子供の私が見た時に一方がイイ大人で一方が今一な大人と捉え今この瞬間、そういう記憶で残っているってだけ。19から20への数字の変化は大きいです。子供の上層部から大人の一部へは一瞬で変貌は出来ません。だからこそ、大人のボーダーは引かれてはいるけど難しい。19と20の境目、世間的にはそこに引かれているボーダー。でも実質の大人の境目は必ずしもそことは限らないし境目なんて無いのかもしれない。だからこそ引かれるボーダー。大人という呼称を与えられるのは、きっとこういう事を考えさせる為。人生を20年間過ごして来た人への評価ですか。 今はまだ分からない。 大人っぽい大人がイイ大人って訳じゃあ決して無いけどイイ大人がいい人間だってのは何となく分かる。 成人式で言われるで有ろう『成人としての自覚』 大人という自覚。子供じゃないんだから。 時に混在しながらも、歩みを止めずいつか周りの私より小さい人達が私が思ったみたいに私の事をイイ大人って思ってくれたならそれは嬉しいし私より大きい人達が私の事を社会の一員としていい人間と認めてくれたならそれも嬉しい。 大人の自覚っていうのはそういう心持で居る事なのだろう。 私は後2ヶ月で20になります。一瞬で大人には絶対に成れない。けれど20になります。私は生きてゆきます。 そんな19歳と10ヶ月の人間の記録。