カテゴリ:父の肺癌、私の乳がん
<2014年9月記述> ~このカテゴリーにコメントを書き込まないでください~ このカテゴリー「父の肺がんわたしの乳がん」をお読みになる方へ 記事の日付からおわかりのように、かなり昔の記録です。 内容も、今現在の私の考えとは、かなりズレがございます。 とはいえ、こういう悩みの道をたどった上で、今の私があります。 ですので、削除はしません。 削除はしませんが、 もし、この当時の記事に対してご意見をいただいても もう当時の私とは違う以上、そのご意見へのお返事はできません。 それから、私自身、乳がんの治療を終えて、あと10年は経過観察中の身です。 不必要なストレスは受けるつもりはないので、 書き込みは、私の判断で、読まなかったり、削除することもあります。 ご自分のご意見はどうぞご自分のブログやフェイスブック等での発信をおすすめいたします。 以上、よろしくお願いいたします。 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ さてそろそろ書かないと・・・というか、やっと書こうという気になったというのか。 7月に、父が肺ガンだということがわかりました。 前に書いたこのブログは父のことです。 肺から脳に転移しており、左手がマヒして動かないのは、脳内の腫瘍が脳を圧迫していたせいでした。 脳内には頭頂に大きく一カ所、あとは脳全体に斑点のように散らばって転移がありました。 8月初旬、ガンマーナイフという治療法で、脳内の腫瘍はうまい具合に凍結?できました。 その後全身を調べましたが、幸い転移は今のところ脳だけということがわかりました。 手の痺れもその後随分改善されました。 先週水曜日。抗ガン剤を点滴で全身に回す治療が始まりました。 辛い副作用もあるそうで、3週間ほど入院するそうです。 癌の治療が始まってから、夜眠れないのが父の悩みでしたが、 入院してからもそれは辛くて、さらに副作用で気持ちが悪いそうです。 父は病気のことは全部自分で知っていないと気が済まない性格なので、 お医者さまからの説明も家族と一緒に受けています。 父は自分では最悪の場合として半年で亡くなることを想定し、 相続のことや、お墓のことや、仕事の引き継ぎとか、今回の入院前に父自身が奔走しました。 その流れで、私は、家族揃って実家の養子に入りました。 これで、結婚姓とは一家揃ってオサラバということに。 長くなりましたが、 そういうわけで、父にレイキすることになった状況の説明でした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.09.11 15:11:38
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