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セミリアイア「晩年」日記

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2024.06.16
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カテゴリ:エッセイ集
​​同僚のW先生の突然の訃報を聞いてから、もう3週間になる。自分より一回りくらい下。教え子の妹さんから我が家の留守電にメッセージが残されていたのだが、それに気づかず、携帯に教頭から連絡が入って分かった。

自分が校長になったとき、1期3年だけ、教頭の人事は任せてもらう、という条件を出した。二人の教頭を選び、その一人がWさん(自分は○○先生という呼称は普段は使わないことが多い)だった。頭がよく、責任感が強いというのが、理由だった。その前の教頭は、典型的なイエスマンで、それがいい場合もあるが、なにしろ校長が酷かった。精神的な病気を抱えていたこともあったと思うが、気分屋で、強権的、修道女のくせに我儘放題、会議では始終居眠り、目を覚ますと、わけもわからず怒りまくる。そういう人間にイエスマンでいるような教頭では到底使い物にならない。

彼を教頭に選んだのは、一つは年齢だった。自分より一回り年下なら、十年後も確実に在職である。自身が定年を迎えるまで、学校を支える力がある人間としては断トツだった。約束通り1期3年で辞め(この時もWさんに、せめてもう1期、と強く直言された)、もう一人の少し年上の教頭(今年定年を迎えた)自分の後の校長にしたが、彼がワンポイントで校長を務め、その後はW先生であれば、学校ももつかもしれないと考えた。もう一つは、たとえ校長にでもNOといえる人間だったからだ。そういう気骨がないと、ダメだと思った。

が、ワンポイントのはずだった次の校長が、任期中に不登校状態になってしまい、次の校長は、例のイエスマンが務めることになり、その下でW先生ともう一人の新教頭がついた。思考能力のない校長だが、それでも自分の前の校長よりマシだろうとは思っていたが、学校を変えようとする強固な意志も思想もない人間で、内部でおかしな問題も起こり、今は外からも中からも崩れてかけているような感じである。

二人の教頭は、多分やってられないと思ったのだろう、任期を終えると辞め、一般教員に戻った。校長が無能だと、そうなる。それで、輪をかけてどうしようもない教頭が就いた。

そのイエスマンもやっと校長を辞め、今、最初のころの教え子が校長室にいる。彼女もいろいろ苦労してきたが、本当によかったねと思っている。何しろ、校長はやはり給与が違う。彼女自身の人生のためには、重要なことだ。また、生徒のころから成績はよかったが、決して「いい子」ではなかったところも、校長に向いている。やっとまともな人間が校長になった。時々、校長室で話をするが、飲み込みも早いし、実行力もある人間だ。

Wさんもこの校長の下なら、気持ちの整理がついて、定年まではもう少しだが、力になってくれるだろう、と思っていた矢先の訃報だった。責任感の強い彼は、病を押して3年の担任を務め、卒業式にも出席した。春休みから入院し、5月には戻ると聞いていたが、戻らぬ人となってしまった。

最近、夜中に右腰、右足が痛くて目が覚める。激痛というほどではない、電気を当て、起きると大体痛みは収まっている。

Wさんの痛みはこんなもんじゃなかっただろうな。せめて定年まで働きたかっただろうな。と、今朝も腰の痛みで目覚めたときにふと思った。

改めて、ご冥福をお祈りします。





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最終更新日  2024.06.16 06:35:49



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