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テーマ:北スウェーデン(64)
カテゴリ:kirunaboのつぶやき
先日アッカ山小屋滞在(記)の導入部分を書きましたが、アッカ(地域)が含まれるラポーニア(Laponia)は、そもそも伝統的に(北)サーメ人が多くする地域です。行政区分的には、サーメ人が多く定住するヨックモック(Jokkmokk)市がこのラポーニアに含まれるのは当然で、従って、世界遺産であるラポーニアは自然と文化の両方の指定を受けています。
アッカと、すぐ近くのヴァイサルオクタ(Vaisaluokta)には、夏の間、トナカイを放牧し、合間に魚釣りをしたり山の産物(ベリー類やきのこ類)を採取するサーメ人の夏の家(注:スウェーデンの典型的なサマーハウスとは違います)が多く点在します。 北スウェーデンのキルナと言う市に住んで8年になりますが、その間全然気にしなかったことで、最近、フィンランドに学会で行って、そこで知り合った北フィンランド出身の同業者(フィンランド・スウェーデン語の話者)の話に触発され、キルナという地域の独自性ー北東方向にあるトルネ・ダーレン(Tornedalen)にはフィンランド系住民が多く住むー、そして、今回のサーメ人の生活圏での滞在で、これまで私の中で、ミッシング・リングだったものが、しっかりリンクされました。 フィンランド人(北フィンランド出身)の同業者、北スウェーデンに住むトルネダーレン出身者、そして、アッカでお世話になったサーメ人夫婦の話を、私が正しく理解しているのであれば、 1. 古フィンランド語は、北サーメ人が話す北サーメ語に強く影響を受けているため、現在のフィンランド語も北サーメ語とかなり共通した部分があり、フィンランド人、特に北フィンランドの人々は、北サーメ語を結構理解出来る。 2. トルネダーレンに住む人々は、元々北フィンランドから移ってきて定住したわけですが、スウェーデン側に長年住むうちに、(古)フィンランド語(finska)にスウェーデン語を混ぜた独特の言語体系ミエンキエリ(meänkieli)を確立した。 3. サーメ語(samiska)のうち、ノルウェー・スウェーデン・フィンランド・ロシアにまたがる広い地域に住む、北サーメ人の言語・北サーメ語は、例えばスウェーデンにおいてはスウェーデン語に埋もれて消滅する方向にはいかず、むしろ、北スウェーデンにおいては元々の名称等を北サーメ語風にスウェーデン語表記するようになるなど、独自性は保たれている。 従って、 4. ミエンキエリ(meänkieli、トルネダーレン語)、フィンランド語(finska)、北サーメ語(samiska)のいずれかの話者は、実は結構、相互に意志疎通が出来るらしい。 その実証の一例として、アッカ(リッツェム)からイェリヴァレに向かうバスを運転する運転手がトルネダーレン出身で、スウェーデン語とミエンキエリを母語とすると話していましたが、 「実は、フィンランド語も、サーメ語も結構分かるよ。ただ、新フィンランド語よりはサーメ語(≒古フィンランド語)の方がより理解できるけれどね」 と言ってました。 私は、ミエンキエリ(のフィンランド語部分)も、フィンランド語も、ましてはサーメ語も大抵理解しませんが、一部の表記で「あれ?これって、もしかして、こういうこういう意味かな?」と分かる部分もあります。 世界遺産・ラポーニアはせいぜい9,000km2の広さしかありませんが、サーメ人(スウェーデン語ではたまにラップ人)の文化は、根元のところでもっともっと広いことを実感した瞬間でした。 写真は本文とは関係がありませんが、ヴァイサルオクタ(Vaisaluokta)にあるシュルクコータ(kyrkkåta、コータ型の教会)。コータ(kåta)に関してはこちらを参照してください。サーメ人は歴史的にキリスト教化されながらも、その信仰を自分達のスタイルに変化させていくことに成功してきたようです。そういう彼らの強靭さ・柔軟性が「少数民族」と言われながらも、反って根深いところで後進民族に影響を与えてきた原動力になったのではないか、と私は思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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