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カテゴリ:北海道スピリチュアルイベント
今回の函館ツアーの最初の訪問地は室蘭でした。
ひめのゆめさまと喜楽天道さまの癒しと感謝と祝福のツアーが始まって1年半になりますが、その先駆けとなったのは、昨年、室蘭の方からのお誘いから北海道のツアーが企画され、それから日本各地、そしてエジプト、シャスタといった海外ツアーという流れになったのでした。 その時は室蘭の神社やお寺、そして360度大パノラマの景色を堪能できる地球岬などを訪問しました。 その時の日記をリンクしておきますね。 北海道スピリチュアルな旅~室蘭~http://plaza.rakuten.co.jp/arigatou39/diary/200806290000/ 室蘭という町に関してその時のブログを一部こちらに転載します。 室蘭は鉄鋼業の町で、よく「鉄のまち室蘭」などと呼ばれています。 鉄は古くから人間と深い関わりを持っている鉱物で、昔の人は鉄鉱石を山から採ってくるときに山の神に感謝して、ありがとうの気持ちを込めて山とともに生きることに使っていました。 だからその土地とグランディングできていました。 しかし室蘭の場合は他の土地で産出した鉄鉱石を加工する町です。 そして企業という利益追求のシステムのなかでただものを生産するという状況になってしまったのはいたしかたないことのように思います。 ひめのさんは室蘭の人たちは土地からのエネルギーを受け取れない状態になっているという。 「浮いている」という表現をされていました。 鉄は過去の歴史を見たときに、いろいろな支配とかパワーと結びつくものらしいです。 そうしたものが「鉄の町」といわれる企業城下町である室蘭という町を締め付けてしまっているのかもしれません。 しかし室蘭のなかでも波動の良いところがあり調べてみると、鉄を使った造形を作っていらっしゃる芸術家の方が、鉄を愛し、その土地を愛して生きていらっしゃるそうです。 このことは、私たちひとりひとりの環境にあてはめた時、とても考えさせられるものがあると思います。 今回の室蘭の訪問は時間的な制約もあり、高速道路をおりてから白鳥大橋を渡り、道の駅「みたら室蘭」に行って、室蘭全体を眺め、感じて、癒しと感謝、祝福をしてまいりました。 道の駅は閑散としており、今の室蘭を象徴しているかのようでした。 ある方のHPには室蘭に関して次のように書いてありました。 鉄の街として発展、最盛期には日本最大の溶鉱炉が作られたり、室蘭港が特定重要港湾に指定されるなど、鉄鋼業の拡大と比例して徐々に成長してきた。 しかし時は流れ、鉄鋼各社の人員削減に始まり、いくつかの溶鉱炉の火が消え、 椎名誠に『ゴーストタウン』と呼ばれるほどに休日の街は閑散とし、 時には『全国の市町村年齢ワーストワン(74歳)』、つまり、最も年老いた街=もう成長しない街とまで言われてしまうほどである。 『ゴーストタウン』『最も年老いた街』とはちょっとありがたくないですね。 ツアーからもどったある日の新聞には1891年創業の老舗百貨店が1月で閉店、そのセールが始まったことを伝えていました。 産業の衰退によって街が衰退していくことは、北海道においては夕張をはじめとして、いくつかあります。 でも室蘭のことを調べていくと魅力もいっぱいある街であることがわかりました。 室蘭八景http://www3.plala.or.jp/pinwheel/sub2.htmと呼ばれるところは、それぞれに景観の素晴らしいところであり、地球岬は「北海道の自然100選」(朝日新聞社主催)「あなたが選ぶ北海道景勝地」(北海道郵政局)でそれぞれ得票一位に選ばれた名所であり、金屏風、銀屏風、そして鳴き砂で有名なイタンキ浜、また測量山からの夜景なども訪れてみたい場所ですね。 白鳥大橋を走ると海の上を飛ぶ鳥のような感じです。 そして噴火湾ではイルカや鯨のウオッチングができます。いいですね~~~。 http://www.kk-elm.jp/vmwa/index1.htm また 測量山を含む周辺一帯は、“測量山緑地”として野鳥の宝庫としても知られており、面積は119.5ヘクタールあり、緑地内には植物が約500種、動物は野鳥類のほか、昆虫類が豊富で青少年の自然観察の場となっています。 市街地の近くに、このような緑地が保存されているところは、全国でもあまり多くないということです。 食べ物はやきとりとカレーラーメンが名物。 室蘭のやきとりは、使う食材は「豚肉」「たまねぎ」「洋がらし」。長年、独自のやきとりを提供してきました。 さらに、やきとり屋の数も断然多く現在、専門店は67店で、人口1万人当たりに換算すると6.4店になり、これは、全国的にもまれなほど多いそうです。 カレーラーメンは市内の6割のお店のメニューにあるというカレーラーメン王国。 何やら室蘭の観光大使になってしまったようですが、少し室蘭の歴史についても触れてみたいと思います。 室蘭においても道内各地でおきた、アイヌ民族に対しての不平等な扱い、開拓先駆者たちの並々ならぬ苦労、また、農耕適地としては最悪の条件下にあったにもかかわらず、入植しなければならなかった屯田兵たちの苦労がありました。 また戦時中は強制連行による中国人、朝鮮人の過酷な労働によって多くの方が亡くなりました。 戦時中の日本製鋼所は、国内でも高度の技術陣を持ち、日本最大の巨大な1万tプレスが鍛えた鉄鋼は、戦艦陸奥や長門などの砲塔・砲身や巨大戦艦大和の装甲板となるなど、世界の四大民間兵器メーカーとして力を発揮していました。 しかし終戦の年、軍需工場を持つ室蘭に対しての艦砲射撃は、軍需工場ばかりでなく、市街地や社宅街にも撃ち込まれ、特に御前水や中島社宅街は目をおおうような惨状であったとのことです。 終戦後の室蘭は、文字どおり火の消えたような状態で、軍需工場は閉鎖、室蘭港内には空襲で撃沈された船があちこちに沈み、港内は機雷の危険があるとして封鎖されるなど、室蘭港は、まさに死の港となっていました。 しかし室蘭市は、天然の良港を背景にいち早く平和産業に転換し、重工業地帯として、復興の道を歩みはじめました。 室蘭の歴史参照http://www7.big.or.jp/~eiji/info/info2.html 戦後のことを考えれば、室蘭は先に上げたように魅力満載の土地ですから、これからいくらでも良くなりますよ。 室蘭に住んでいらっしゃる方で私のこのブログを読んでくださっている方がいらっしゃいましたら、どうか今住んでいらっしゃる土地が素晴らしいところであることを感じて、感謝して、祝福し、愛してあげてください。 そして歴史の中で御苦労された方々を癒してさしあげてくださればと思います。 またこのブログに紛れ込んでしまった方も、ご自分の住んでいらっしゃるところと室蘭に癒しと感謝と祝福をしてくださればと思います。 キラキラと光輝く室蘭をあとに、私たちは次の目的地へと車を走らせます。 いつもありがとうございます。 皆様に光のシャワーが降り注ぎます お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.12.04 23:29:28
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