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カテゴリ:イスラエルライフ
でさりげなくいたわってあげて欲しい... フランス大統領とギリシャ議会の選挙が相次いで行われます。ユーロ救済策の是非が問われる選挙に欧州市民はいかなる審判を下すのでしょうか。 「戦いが始まるに際し、我々の真の敵は誰か、お話ししたい」 第一回投票が今日行われるフランス大統領選挙で優位に立つとされる野党社会党のオランド候補が、出馬に当たって行った演説は印象的でした。 「ユーロ」の信任投票 「我々の敵には、名前がなく、顔もなく、政党に属してもいません。立候補も、選挙の洗礼も受けたことがありません。それでも我々を支配しています。その敵とは、金融界です」 フランスでは、合意された枠組みの「再検討」を公約に掲げるオランド氏への対抗上、サルコジ氏もEUへの拠出金凍結、域内自由移動を認めるシェンゲン協定からの一時離脱など、EUに距離を置く政策を打ち出さざるを得なくなっています。 曖昧な根本的解決策 ギリシャでは、それでなくても生活苦から自殺者が相次ぐ社会情勢下、超財政緊縮策を強いる主要政党に対する批判が高まっており、現在大連立を組む与党側が合わせても過半数を維持できるか微妙な情勢です。 移民排斥や大衆迎合主義など、過度のナショナリズムへの傾斜がいかなる社会を生んできたか。EUの原点を思い起こすだけで十分でしょう。 「政治家排除」の屈辱 金融危機は、幾つもの欧州国で政権交代を迫ってきました。成功例とされるイタリアでは、政治家を排除したテクノクラート型政府が粛々とすべきことを実行してきたのが実態です。政治家排除という形でしか秩序の安定を回復できなかった現実こそ、欧州の屈辱でしょう。 既成政党があるべき欧州の将来像を示せないなかで、フランス、ギリシャ二つの選挙は欧州統合を促進するのか否かの判断を、欧州市民たる有権者に否応(いやおう)なく突きつけています。(「欧州市民」が下す審判 週のはじめに考える 中日新聞 社説より抜粋) 欧州では統合を促進するのか否かについてを国民の判断に任せようという動きが出ているようです。 では、日本国内はどうなのだろうか。 私の杞憂であればそれに超したことはないのですが、国民の判断は棚上げにされ、原発推進のためのシナリオが進められるために、憲法改正手続きの最終判断からも国民が除外されようとしているかのように見えてしまう。 多くの原発反対の意見は、福島第一の原発事故以降から巻き起こっているような風潮が囁やかれておりますが、反対運動やエネルギー転換を訴える人たちの意見が封殺されてきただけであり、そういった意見は昔から地道に続けられてきたものであることを、どうしてマスコミなどでは触れられないのであろうか。 反原発を訴える市民グループなどに対して意義を唱える人の中には、例えば、「私が過去の日本人の清算にこだわるのは、要は今日の、明日の、日本人の生活レベルをどうするのか、自分の暮らしをどうするのか、そこがごっそりスポイルされている馬鹿馬鹿しさを思うからです。バブルの時代、つまり20年以上前から思っていました。既にエネルギー問題・環境問題は云われていました。自分達の生活レベルを下げる覚悟はあるのか、まずはそこだと思うのですが、足りるの足りないの、今の暮らしを維持する前提の話ばっかりです。それじゃ今まで供給してきた東北の作業員達は堪らんでしょうね」などといった、意見を右から左にころっと変えたといった部分に反発しているような節が、あちこちで見え隠れしているように感じられます。 また、そういった意見なども感情などとは一切切り離したうえで、推進派の方々はどんどんどんどんと、NOでないのなら推進派とでもいうような論点で突き進んで行ってしまう。 ここで一度、冷静に、そういった感情や結論ありきなどを一切取り払って眺めてみますと、どちらに肩入れしない状態であったにしても、私は「イエスかノー」のどちらかと二択で問われれば、回答はほとんど「ノー」になると思うのですが、如何なものかと。 ここからが日記です^^。 今日は、娘が生まれてから初めて妻と娘と昼間に買い物に出かけました。 しかし、要所々々で授乳をしなくてはならなくなり、おしめを代えなければならなくなり、抱き抱えて泣きやませたりと、時間が思った以上にかかりました。 結局、最も軸においてあった買い物は済みましたが、他の用事は据え置きです。 気がつけば柔道のレッスンが終わっている時間に、慌てて息子を迎えに行きました。 その後、息子が明日の幼稚園の授業で使うという調理具が我が家にはないために、息子も加わり探しに行きました。 パンの生地や麺類を打つ時などに伸ばす道具なのですが、こちらでは体外の家にはあり、早々壊れるものではないということもあり、行く先々で売っていなかったのです。 結局、立ち寄ったスーパーでたくさんの食糧品を買い込み帰宅。 夜になって、家中探してみたのですが、代用できそうな道具すら見当たりません。 そんなこんなで息子が泣き出す始末。 慌てて、息子を連れ出し、自転車で閉店間際の台所用品を売っていそうなお店を片っ端から聞いて回りました。 すると、一軒だけ置いてあったのです。 その時の息子の安堵した顔はいい笑顔でした。 ふたりでハイタッチして帰宅。 息子は笑顔で寝室に向かいました。 幼稚園の先生に、少し普段と違うような言行動が見受けられるから、家庭でも出来る範囲でさりげなくいたわってあげて欲しいと言われたばかりであったので、余計に変な気を回してしまいそうになるところを少し気をつけて、いたって普通に接することが良いのかな、そんな風に感じました。 今日もよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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