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カテゴリ:イスラエルライフ
今度から私にも声をかけてください... 30年で1世代というから、60年だと2世代になる。敗戦で尾羽(おは)打ち枯らした日本が独立を取り戻したのは60年前の1952年4月28日だ。この日、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約が発効し、日本は国際社会に復帰した。そして今日、3世代目の第一歩を踏み出す。 講和と安保は、戦後日本の「国のかたち」を決めた。領土の放棄、西側の仲間入り、東京裁判の受諾。その一方、沖縄を米国統治に委ねたのもこの日である。沖縄は本土に復帰し、来月で40年を迎えるが、今も基地問題の重圧に苦しむ。正の部分も負の部分も含め、戦後日本の歴史はこの日から始まったのだ。 ◇排他的ではない国に ともあれ戦争の廃虚の中から立ち上がった日本は、わずか2世代で平和で豊かな国になった。先人たちの努力に頭が下がる思いだ。 その日本がいま、大きな曲がり角に立たされている。政治のゆらぎ、経済の低迷、人口減による少子化・高齢社会。原発事故処理や今後のエネルギー社会の見直しなど、かつては想定しなかった難題も山積している。なのに先行きが見えない。国が制度疲労を起こしている。 60年もたてば、国家のシステムにさまざまなほころびが生じるのは当然である。であるなら、必要なのは新しい「国のかたち」のあり方をみんなで考えることだろう。この社説シリーズで、私たちはいくつかの前向きな提言をしてみたい。(毎日新聞社説:孤立せず、孤立させず 国の形を考える・講和60年 より抜粋) 正も負も双方を眺めたうえで、真剣にほころびが生じてしまっている部分を当然のものとして、改善する姿勢作りから始められることを願わずにいられない。 ここからが日記です^^。 土曜日は1日中、義姉邸で過ごしました。 フランスの妻の従兄弟が家族連れでイスラエルを訪れており、歓迎バーベキューが行われたのです。 昨夜は息子が妻の友人宅に一人で泊まり込んでしまっていたこともあり、迎えに行ったり朝の用意などで、義姉邸に到着した時にはお腹がペコペコ。 挨拶はほどほどで、すぐにお腹いっぱい食べてしまいました。 それから、近くで催されていた凧揚げ大会に参加して遊びました。 久しぶりにやったら、難しいのなんの^^;。 ムキになるのが私の子供っぽさなのですが、息子が持っていた凧を取り上げてしまうような形で集中しました。 3、4分は上がってもすぐに落下してしまう凧。 このタコが悪いなどと自分を叱咤激励してみましたが、風向きの運もあまりなく、うまくいきませんでした。 皆さんが帰られた後、義姉の着なくなった服の中で妻が着たい物はないかを二階で話し合っている時間がありました。 妻の3姉妹は、それぞれ、体格は多少異なりますが、身長や靴のサイズは皆同じなのです。 ですから、3姉妹でのやりとりは頻繁なのです。 しかも、私も背丈と足のサイズは同じなのです。 妻がふざけて言いました。 「そこのストレッチタイプのコーデュロイのズボン。もしかしたらあなた穿けるんじゃないの。試してみなさいよ」 ちょっと、私好みのデザインであったこともあり、その気になった私は別室で試着してみました。 すると、丈もウエストもぴったりなのです^^。 そして、初めてストレッチタイプなるズボンを穿いてみたのですが、これがすごく穿き心地がよいのですね(爆笑)。 あらいいじゃないなどと煽てられたこともあり、もらってしまいました。 それも二つも。 こういったところは、海外に来てよかったなと思います。 私は身長170ですが、イスラエル女性は私くらいの背丈は、男女共に交えましても大きい方ではないのです。 小さすぎるということもありませんが。 あほな私は、今度から私にも声をかけてくださいなどと言い残して、家路についたのでした。 娘は家の中のベビーカーの上にほとんどおりましたが、とても気持ちがよさそうに眠っており、とってもよい娘でした。 ワン子たちは、妻の実家の庭で一日過ごし、ステーキやお肉の食べ残しなどをお土産にいただき、大満足。 大の字で眠っています。 今日もよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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