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カテゴリ:イスラエルライフ
初めての笑い声が漏れる・・・ これは、何だ、と言いたいような、国連持続可能な開発会議(リオ+20)の幕切れだった。十年後では遅すぎる。明日にでも首脳が集まって、仕切り直しをするべきだと、フクシマが教えている。 「何かを始めなければ前進できない」。ブラジルのルセフ大統領が、少しいらだたしげに力説した通りである。 世界百九十カ国・地域の代表が集まった。「われわれの望む未来」と題する宣言(合意文書)は採択された。だが実態は、議長国ブラジルが事前に用意した案文を、そのまま通しただけではないか。 具体的な施策や数値目標は、決められないまま先送りされただけに終わった。結局何も決められなかったのだ。 環境保護と経済成長を両立させる「グリーン経済」への移行は、「持続可能な開発のための重要な手段の一つ」と言葉を濁し、具体的な開発目標は、二〇一五年までに策定するとしただけだ。 私たちは、こんな未来を望んではいない。 持続可能な未来を築くと誓った前回のリオ・サミットから二十年。世界は足踏みどころか、後ずさりを始めてはいないだろうか。 会議自体が低調だった。米大統領は自らの選挙で忙しく、金融危機におびえる欧州連合(EU)は、環境どころではない様子。日本の首相は、ブラジル政府からの強い要請があったにもかかわらず、前回に続いて参加を見合わせた。その中で、国連の潘基文(バンキムン)事務総長は「持続可能な開発は、人類にとって唯一の選択肢である」と言い切った。 フクシマを経験した私たちには、強くうなずける。 経済成長の坂道を上る途上国が「グリーン経済」に懐疑を抱くのは、両立の具体的な未来図を先進国が示しきれずにいるからだ。だから、資源、エネルギー浪費型の成長モデルに頼ってしまう。 日本政府はリオで、震災の貴重な体験を踏まえ、持ち前のリサイクル、省エネ技術を駆使した「災害に強く、人に優しい『環境未来都市』のモデルをつくる」と表明した。フクシマに報いるためにも、この試みを一歩進めて、破滅的な環境破壊を招く原発に依存しない、持続可能で豊かな未来社会のモデルを、日本から世界に示したい。そうすれば、環境の国際会議も再び前進できる。 私たちが望む未来は、持続可能な社会以外にないのだから。(リオ環境宣言 フクシマが教えている 中日新聞【社説】より抜粋) 方向展開をしていくと、仮に取り決めたとしても向きを変えていくことはそう容易いことではない。 それを踏まえても、どの様に方向修正を加えていくのかを探りながら進めていくことになるとしても、方向性の模索や当面の取り決めなどが何もないまま、どこに向かえるというのであろうか。 ここで一つ考えて欲しいことがある。 経済、経済と騒いでいるようであるけれど、環境保護への方向性の舵取りの一番の利点とは、例え経済の落ち込みなどがあったとしても、人類が生きながらえられる道を模索していくことが出来る点にある。 なぜなら、環境保護を打ち出していけばいくほどに、自然からの恩恵も受けられ始めることができるという所以である。 なぜそういった舵取りに踏み出せないでいるのだろう。 ここからが日記です。 初めての笑い声が漏れる。 先日のことである。 妻が友達の家に子供たちと出かけており、私は愛犬二匹の毛を夏用に家で刈り込んでいた。 母犬ジーナなどは、手馴れたものでお腹の毛を刈り込む時などは仰向けにごろんと横になり、お腹を見せて寝転んでくれる。 息子ジンちゃんは、そんな母犬の態度を目の当たりにしているからなのか、初めてだというのにお座りをして協力的なので助かった。 まず、普通はこんなことはありえないと思う。 そこに妻から携帯に三通の写メールが連続して届く。 3枚とも娘の写真であり、妻が送信したものでした。 椅子に座っていたり、ソファーの上に寝かされていたり、クッションの上にうつ伏せになっていたりと様々・・・・・。 と、見ている私の手元が急に震えだし、数秒違いで着信音がなり始めた。 妻からであったので着信ボタンを押した。 「メール見てくれた?」妻はいつもののんきな声で、私が犬たちと共にバスルームで汗だくになっていることなどお構い無しであるかのように、いきなり自分の用件を切り出し始める・・・。 「あぁ、今見てたとこ。犬たち二匹の毛を刈っていて、シャワールームで汗だくだよ。二匹同時進行はなかなかきついね」 私の近況などお構い無しで、耳に入っているのかすら疑わしいと推測される。妻はすかさずさらなる勢い込んで話し始めた。どうやら、余程いいことがあったに違いない。私は、近況を軽くいなされたことへの感情をじっと見つめて消滅させて、再度妻の話に集中して耳を傾ける。 一筋の汗がもみ上げから滴り落ち、Tシャツ内部へと滑り込んで行くのが感じられる・ ・・・。 「今、たった今ね、初めて笑い声をあげて笑ったのよ!!笑顔だけじゃなかったわ。声を上げて大笑いしたの!!!!」 素直に喜んではいたけれど、ほんの少しだけ、その場面を見逃してしまったことに対して、残念な気持ちも芽生えた自分の心の動きに驚きを感じたのは言うまでもない。 「いいなぁ、俺も見たかったよ。可愛かっただろぅ?」 その後も妻がいろいろと話し続けていたが、話半分くらいにあまり集中せずに電話を切った。 携帯を台に置くのを見上げていた二匹の愛犬たちの視線にはっと現実に引き戻される。 母犬ジーナと息子ジンちゃんは、二匹揃って満面の笑みで私に笑いかけてくれている。 しかも、ジンちゃんは半分刈り込みを入れた状態で、とても間抜けないでたちである(笑)。 そのいでたちが健気で、無邪気でなんともいえないほどに可笑しいものだから、私は大声を上げて笑った。 愛犬たちの笑顔に娘の笑顔を重ね合わせ、私の笑い声を娘の笑い声に見立てて、想像の中でしばし娘の笑い声を楽しんでいると、心の内側になんだかとても温かい感覚に満たされ始めていった・・・。 今日もよろしくお願いします。 人気ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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