『レ・ミゼラブル』
『レ・ミゼラブル』見て、CDも買ったんですが、そのあと『ホビット』見て祭りが始まっちゃった。もう二回見たけどハイビジョンの3Dも見たい~となってます。それなのに『ジェーン・エア』は来年の1月12日から『髑髏城の七人』2013/01/12(土) 梅田ブルク7かなんばパークスシネマうおぉお!文楽も見なくっちゃ、ノルマ達成しなくっちゃあの市長が助成金削りよるのに~。うわぁ~ん、時間がないよ~。とりあえず、今日難波行って、『ホビット』見て、『髑髏城の七人』の切符とろう。来週木曜日に『ジェーン・エア』見て…、文楽が~。『レ・ミゼラブル』のCDは輸入版と同じのに歌詞対訳パンフがついてて表紙がペラっと一枚で日本のポスターと同じ。その下には少女コゼットの写真のパンフレット表紙。どうも世界的にはこちらが表紙みたいで、出てくるスターの顔を全部並べるのは日本の映画会社がやってることらしい。『ホビット』もそうなんで、一応ピーター・ジャクソン監督が監修しはったんやと。【送料無料】レ・ミゼラブル〜サウンドトラック [ クロード=ミッシェル・シェーンベルグ(音楽) ]価格:2,548円(税込、送料別)【Aポイント+メール便送料無料】レ・ミゼラブル Soundtrack / Les Miserables (Highlights) (...価格:1,790円(税込、送料別)つまりこのようなありさまなのです。集客力のある人の顔を並べただけって日本版と見る人の想像力を刺激し映画館にいざなおうとしている輸入版とまるで、国立文楽劇場と国立小劇場の文楽ポスターと相似形ですねぇ。観客の想像力をもっと信じてもいいんじゃないかと思うんだけど、スター並べたほうが観客動員いいんでしょうかねぇ。まぁ、歌舞伎の看板以来の日本の伝統といえないこともないですがね。少女の顔アップは舞台オリジナルでいつも使われているもの。1986年ロンドンに行ったときこのミュージカルのロングランが2年目くらいでその当時別にミュージカルに興味のなかった私も知ってた。看板見てへぇ~、これかと思った。それから劇場は替わったけど今でもロングラン続けているという。映画パンフレット解説によると(なので間違ってる可能性もあるが)キャラクターのテーマ曲でなく、同じメロディを別の登場人物が反対の内容で歌うなどのテクニックはこのミュージカルから始まったのだそうで、この間の『ジェーン・エア』もそういうの当たり前のようにやってたな。作曲のシェーンベルクさんは「あの」シェーンベルクさんの遠縁だそうだ。「あの」というのは、「12音階技法の確立者、『浄化されし夜』の作曲者」と私も頭では知ってますが、聞いたことがない「あの」シェーンベルクさんです。「この」シェーンベルクさんは『ミス・サイゴン』も作曲してるんだねぇ。最初、座礁した帆船をドックに入れようとひっぱる囚人たちの場面で始まります。三隻とも黄色くて砲門が三層になってて、ビクトリー号くさい。この大きさのがフランスに3隻はないと思う。大きさ変えるくらいのことはして欲しかったぞ。どれがヒュー・ジャックマンですか、これですか?坊主頭で目ばっかり光っていてわからんぞ?と思ってたら、ラッセル・クロウが、おお、出てきただけでこいつが仇敵!って存在感!が、あら!思ったより声が高い!!!これCDで聞きなおしますと、ほかの曲ではもっとにごった低い声作ってるんだけど、この場面ではちょっと高くて澄んだ声。撮影と同時に歌も録音しているのが裏目に出たなぁ。ここだけはあとで録り直ししてもよかったんじゃないかな。アン・ハサウェイのフォンティーヌは舞台では工場を首になった場面で歌うそうなんですが、映画では髪を売って、歯を抜いて売って、とうとう体を売ったあとに歌いだすんで、ものすごい迫力と説得力です。これだけでも値打ちあったなぁと思います。舞台だとこんなに途中で止めたらオーケストラが困ります~って映画ならではの歌です。10kgくらい減量して、精神状態も普通じゃない中で歌ったとアン・ハサウェイのネット記事読んだ。ヒュー・ジャックマンはもともとオーストラリアのミュージカルスターだったんだって。トニー賞も受賞してるそう。それであの体格なんですから、馬車を持ち上げたり、男性一人担いで下水道を抜け出したりの力持ちのジャン・バルジャンはうってつけだよ。 小学校学級文庫にあったものすごいダイジェストの『ああ無情』を 読んだんだけど、あえて燭台も与える司祭、馬車を持ち上げる大力、 下水道を逃げる、今回思い出してみたが、 その3点しか覚えていなかったという、 『ジェーン・エア』に続きなさけない自分の記憶力を自覚…。ヒュー・ジャックマンと中村橋之助はほんとにいい人なんだろうなぁって感じがするよ。逆に言うと悪役はちょっと食い足りないかも。フロックコートとハイカラーのクラバットがよくお似合いですが、ブラウス一枚のときがあって、エドガー・ポーツネルが着ているようなひらひらふりふりのブラウスなんですが、これが発達した僧帽筋の上に乗っかってぱっつぱつでこういう風にブラウスが似合わん人は始めてみた~と思いました。虐待されてる幼いコゼットが雲の上のお城を想像して歌う歌、文字通り夢みたいなことを並べながら、「そこに住む人が…」で急に声を潜め「アイ・ラブ・ユー・ベリー・マッチ、コゼット」ってつぶやくように歌うの。彼女にとってそれが一番の望みだし、一番実現しそうにない夢と感じているんだろうと思って泣きました。これは字幕を追っててはわかんなかった。CD聞いてて気づいたの。サシャ・バロン=コーエンとヘレン・ボナム=カーター、複合姓の二人が楽しそうに悪役のコメディ・リリーフやってる。サシャ・バロン=コーエンは今度フレディ・マーキュリーやるらしい。似てるかも。彼の奥さんは『ランゴ』のヒロイン、ビーンズの声役か。よく似た名前だな~と思っていた自閉症の研究で有名なサイモン・バロン=コーエンはいとこだそうな。ヘレン・ボナム=カーターもとんでもないおひいさまなのに好きだね~。こっから先はネタバレが、続きますよ~。ジャベールは脱走犯ジャン・バルジャンを捕らえることが生きがい正しいことと疑わない訳なんですが、学生たちの革命に触れ、信念が揺らぎ、ガブローシュの死を悼み、ジャン・バルジャンを見逃してしまう。その信念が揺らいだときの歌がジャン・バルジャンの改心の歌と同じメロディで、バルジャンは違う人間になって生き直すことを誓ったのに、ジャベールはどうしていいかわからなくなって自ら命を絶っちゃうのですね。彼のほうが弱い人間だった。エポニーヌが舞台で好評だった子を抜擢。すごくよかったですね、涙でそうになった。成長したコゼットはアマンダ・セイフライドの姿にマリウス一目ぼれの説得力があった。マリウスはこの子はイギリスのええしの子かと思いましたが、やっぱりそうみたいでした。アンジョルラス、カリスマ性のある学生リーダーで逆釣りで死ぬので、碇知盛思い出しました。まぁ、こないだの選挙では、盛り上がったのに民衆はついてこなかったのねってな気分を味わいました。続けていれば世の中変わるんでしょうか?ラストシーンみたいに。しかし、マリウス、じいちゃんに勘当だとか言われながら、学生運動飛び込んで、きれいな子に一目ぼれして、彼のことを恋焦がれてる子を自分の恋路に利用して、その子は彼をかばって死んで、回りの同志みんな死んで、自分だけ生き残って、命の恩人のジャン・バルジャンには冷たくして、好きだった娘と結婚して、男爵継いでブルジョワ生活。おいっ!それってどうよっ!コゼットくらいは幸せになってくれないとあんまりだから仕方ないとはいえ、こいつはどうなのよ?このマリウスは作者のビクトル・ユーゴーが反映されてるらしいよ。大恋愛の末の奥さん持ちながら、愛人もいたんだって。そういえば、出てくる女がみんな都合よくないか?