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テーマ:今日聴いた音楽(75639)
最近、フィギュアスケートをTVで観ていてスゴク考えさせられたのね、
【表現力】 というコトについて。 キム・ヨナ。 あの子は技術力だけでなく、表現力をスゴク高く評価されてるわけだけど、 本当にそうだもんね。 なんというのかなぁ。 世の中、色々な【上手い】のジャンルがあって、 キム・ヨナみたいに表現力があるというコトって、【人間らしい表現力】というか、 曲線的な表現。それは動きが曲線的というわけではなくて、 彼女の表現を線に例えたら【曲線的】というカンジ。 ただ、跳べるだけじゃない、ただ滑れるだけじゃない、ただ回れるだけじゃない。 ただ高く跳べて、ただスイスイ滑れて、ただクルクル回れるだけであれば、 その一連のイメージはワタシにとっては、とても【機械的】で【直線的】。 単調で、子供的というか。要するに、表現力に欠ける、というコト。 この表現力っていうのは、 やっぱり練習に練習を重ねて、その表現力を後付けして塗り重ねるコトもできるけど、 それだとお遊戯会と一緒だと思うのよね。 違いは、 内から湧き出る表現なのか、外側から乗せた表現なのか。 真央チャンはスゴイし、安藤美姫サンも、鈴木アキコサンも皆フツウにスゴイと思うけど、 やっぱり表現力を観てしまう。 真央チャンは、エキジビションの時が一番イキイキしてたし、心からの笑顔があったように見えて、 だから、その歓喜みたいな安堵感的解放感の楽しさが、内から湧いて出て表現されてたと感じた。 でも、実際の競技の時はどうだろ。。。 安藤美姫サンのクレオパトラとかも。 あれは、自分で選ぶのだろうか。 自分に似合う選択ができるかというのも、総合的な採点対象だと思う。 後、顔の表情ってほんと大事だと思う。 真剣な顔になるのは当然だけど、やっぱり笑ってた方がいい。 心からの笑顔がベストだけど、 やっぱ特に無表情な演出じゃない限りは、 スクールメイツ(古っ)とかも、それこそ北朝鮮の喜び組もさ、 笑ってるもんね、作り笑顔でも。 あれ、本当に踊ってるのが楽しくて笑ってる笑顔はいいよね。 だから、どんなに音楽選んで、どんなに動きを選んで、衣装を選んでも、 その一連の演出物(音、動き、衣装)から顔の表情だけ独立してて、 そのフローに溶け込んでなければ、なんかスゴク興醒めするのよね、ワタシ。 だから、安藤美姫サンとかも、顔の表情がね。。。 なんで無表情というか、ハイ、滑ってます~シラ~ってカンジの表情で、 口が半開き、ってすっごく勿体無いと思う。。。 別に、それが仮に笑顔じゃなくても怒りや苦しみの顔で歪んでたとしても、 そちらの方が、なんか【生きた中身】を感じるんだよね。 シラ~っとした顔だと、なんかただ滑れる機械、物体が滑ってるだけ、ってカンジがする。 その点、キム・ヨナって違うなぁ、ってしみじみ感じたんだよなぁ。 ワタシ、別にオリンピックとか世界選手権でどこの国が勝つとか興味なくて、 どこ出身の選手だろうと、素晴らしい人が出てこればそれが素晴らしい、 世界の成長だと思うから、余り国別対抗意識がないのよね。 それがキム・ヨナじゃなくて真央チャンだったら同じように、言うだろうし、 アフリカの選手だろうが、アジアの選手だろうが変わらないだろうし。 ああいう表現ができるキム・ヨナには、中から湧き出るものを感じるし、 あの子はセクシーなものを持ってるし、自然ににじみ出るんだなって思う。 周囲が羨ましがって、真似して練習しても、得られないものをナチュラルに持ってる。 それって、この世の中である程度分かれてると思う。 モーツァルトとサリエリ論。 もともと恵まれている人、努力してもしても追いつかない人。 後者は、努力しても報われない不幸なヒトと言うよりも、 ただ自分に合ったものに気付けないから不幸なヒト、と感じる、ワタシは。 なんだろうなぁ。 でも、その努力とか関係なく、 その人の人生の中で、自然にその人の精神状態に影響を与えるような流れが起きれば、 それが内から湧き出るようになると思うんだなぁ。。。 その観点では、まだ真央チャンは幼くて純粋な子供寄りで、 安藤美姫サンは、どんなに着飾ってもイマイチまだpositiveに見えない、 何か不穏なワダカマリが内にあるように見える。。。 真央チャンの中に大人の成熟が育まれたら、 安藤美姫サンの精神が、本当に本当に解き放たれたら、 違う表情になるのかな、顔は。。。 全部、ワタシの印象なので実際の事実は知りませんよ? こういう観点って、 他のパフォーミング・アート、所謂、各種ダンスにも同じコト言えると思う。 音楽もね。歌。 そういう点、AKB48とかアイドリングとか、モーニング娘とかああいうのは全滅だね。 ただ歌ってるだけ。容姿がカワイイとされる女子の集合体が、ただ歌ってるだけ。 表現力もクソも無い。歌詞に意味もあるし、ブリブリ歌ってるけど、 それでもなんとも薄っぺらくて、つまんないんだよね。 心から歌ってる感ゼロ。どんだけ歌詞で例えば【好きだよ】【愛してるよ】【思ってます】 とか、言ってたとしてもね。 なのに、それに踊らされる男性の多いコトもなんとも情けなくなっちゃうんだけど。 歌手でも、誰が誰がと挙げ出したらキリがないから敢えて挙げないけど、 ただ高い声が出るだけ、ただ英語で上手くラップできるだけ、とかじゃなくて、 心から沁みだしてくるような抑揚。 ただ音程正しく外れないように歌うのであれば機械的。 パフュームとかなんかは、そういう良い例で、あれは敢えて無機質で機械的なものを表現した形であって、あれは【わざと感】があるから、AKB48とかああいう所謂アイドルで歌は話にならん系とは違うんだよね。たとえ、パフュームの3人が実際歌が下手だったとしても、あれは、機械との融合を敢えて選択してるのが判るから良しと思う。 デジタルで無機質なモノも、デザイン的観点から、この世に存在する【一種】として認められるけれども、 やっぱり、 ワタシ達は人間なんだから、 人間らしさを感じる、 人間ができるコトを 表現にそのままノビノビと活かすと良いんじゃないかなぁ、って思う。 こういう発想もアナログ回帰の一環なのかな。 喜怒哀楽。 色んな表情。 色んな声。 強弱。 叫び、唸り、ぼやき、つぶやき、わめき。。。 モノのデザインとか、シンプルなミニマリズムな物に惹かれるけど、 同時に超complicatedなゴチャゴチャデザインも好き。 でも、やっぱり人間は。。。 人間だよ。 人間は生身。 機械じゃなくて、プログラムじゃなくて、 でも、ナニ?遺伝子?が全てを動かしてるの?そうなの、どうなの? 良く知らないけど、 何か、人間って、人間なんだから。 スゴイ色々なコトを、機械や電気使わなくてもできる。 生身で。 上手くまとめられないんだけど、 だから、キム・ヨナの滑りや表現、顔とか素晴らしいと思うんだ。 すごく飛ぶけど、マイケル・ジャクソンなんて勿論。 ビヨンセだってそうだよね。大体、洋楽のR&BなんてOKだよね。 そのlyricをちゃんと心から歌ってる感ある。 日本の歌手も結構居るけど、今名前が挙がらない。 でも、安室ナミエサンはどうかというと、 ワタシにとっては。。。どちらかというと機械的系なんだよな。 余り、心からの熱いものって感じないな。 スゴク可愛いし、踊れるし、歌ってるけど、なんか違う。 こういう感覚、共有できる人居るかなぁ。。。 少なくとも、自分はその人間らしく表現っていうのを、 これからも目指さなきゃ。生きてく上で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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