【ウーパ=ジェイソンの訳と偽善心】
お待たせしました。【予告編:ウーパ、ジェイソンと化す+追記】から1週間程引っ張りました。それでは、ウーパ=ジェイソン話の真相と共に、私の偽善を語りましょう。ウーパの新居水槽を買って以来、楽しくて楽しくてはまってて、ウーパの他にも何か生き物を入れたい気持ちが溢れてきた。水槽を掃除してくれる貝とか?できるならもう1匹ウーパが欲しい。でもウーパはあの口裂け女顔負けのデカ口で何でもパックリ食べてしまう、という。。。ウーパも同じ位のサイズのじゃないと食べられてしまうという。そうです。ウーパは肉食です。近所にある総合ペットショップに足を運んでみる。ウーパなんて売ってない。熱帯魚コーナーはあったけど。何を入れようかなぁ、なんて色々考え色々な魚やエビみたいなのとか観察。ショップの女の子にウーパと何かを一緒に飼いたいけど…と聞いても、やっぱり大きさが同じ位のものじゃないと食べられちゃう、と仰った。結局、その日は水草を何本か購入して引き返す。次の日も気持ちが収まらずまた来店。★★★ここから私の偽善が始まります。★★★ウーパに食べられてもいい、何かを探し出すのです。さて。どうやって探すか???【価格】で測る【生命の価値】食べられなければ安い共生のお仲間。食べられたらウーパにとっては少し高級な生き餌。その位の事は頭の中で自分に言い聞かせたんです。私は10匹で200円のめだかを買いました。ウーパはいつも30cm水槽の底辺にじっとしてる事が多いから、めだかがチョロチョロチョロチョロスピーディに泳いでるのは、速過ぎて追いつかないだろう。捕まえれないだろう、と思った。でも、同時に食べられる可能性も許している私。こうさぁ、生命に対して、どっちでもいいって思ってしまう私って病んでるよね。こういう風に思えるのは、自分が生きてても死んでもどっちでもいい、とか地震が来たら潰されて死んでしまいたい、とか言う人間だからだよね、私が。自分の生命に対してなら自分のだからまだ言わせとけ、と思うんだけど、こう、【めだかの生命の価値】を勝手にその値段を基準にして、ギャンブルみたいな事をした自分が、残酷、と思うと同時に、でもウーパには今まであげたこともない生き餌だったから嬉しかったんだろう、と無理やり正当化する私。だから、人に言われる前に私は言いますよ。私は偽善者です。ってね。最初にめだかを入れた夜は10匹スイスイ泳いでいて、ウーパはお家の中に入っちゃって、いじけたようにこもってたから、私は【こりゃ飼えるぞ】と思ったんです。安易にね。翌日、仕事へ。夜戻りました。さーてさーて、とめだかを数えだす私。1,2,3,4,5,6・・・・6匹しかいません。心の準備はしていたはずなのに、はずなのに信じられない。。。えええーーー!!!ここが自分の心でも意味のわからない所。何かあれですね。こんな男別れてもいい!!!と思って、排除したのにその後別れてもいい!!じゃないわ、と気づく時みたいな???意味のわからない心理。そして、5匹目を目の前でパクっと飲み込みました。うそーーーーーーーーーー!!!?(うそじゃないって。。。)心の準備は出来ていたはずなのに、やっぱりあのカワイイウーパがした行為を見て私は叫んだ。本当に叫んだ。ウーパの見え方がその時から変わったのだ。あの無表情なシンプルフェイスがジェイソンの仮面に見えるようになった。ウーパちゃん。。。私が留守の間に野生に目覚めた。いつになく激しく動きまくる。歩く歩く。地面の匂いを猟犬のようにクンクンかぎながら、そして、マグの影に隠れて、めだかをコッソリ狙うような感じ、そこを飛び越えてジャーンプ、なんかチェーンソーを持って、目の前に飛び出してきた、って感じ。そして逃げまどっている、とまでは言わないけど、水槽の上の方で団体で動くめだかちゃん達。ドキドキしながらもその光景を見る私。人間。5匹逝ったのが月曜日。10-5=5火曜日-1匹。=4水曜日-1匹。=3木曜日 平和。=3金曜日-1匹。=3土曜日-1匹。=2月曜日 平和。=2火曜日 平和。=2水曜日 平和。=2木曜日 平和。=2金曜日-1匹。=1人はカワイソウとか簡単に言うけど、それでも私はメダカだけを飼うつもりで10匹200円を買わなかった。一緒に飼えたらラッキー、食べられたら200円。すんごい嫌でしょう?人間のエゴでしょう?途中から、【風雲たけし城】とか思って、最後まで残る勇者達がいるはず、とか思ったりして。ウーパには別に餌もあげていたけど、生き餌の味をしめてしまったらもう遅かったかもしれない。でも最後の2匹が残って数日平和に過ぎたので、もう大丈夫だと思っていた。自分でどういう根拠でそう思うのかわからないんだけど。でも、今日ついに残りの1匹になっちゃったんです。【そして誰もいなくなった】っていう状況は時間の問題です。でも、この子はずっと生き延びてくれる、とも信じているんです。でも、どっちでもいい、って思ってるんです。めだかの一生を考える。大体、自然の川の中にいたとしても、外界の敵に食われる可能性アリアリ。ペットショップに来なかったら既に死んでいたかもしれない。その中、ペットショップで販売される用に連れてこられた大量の彼らは、めだかしかいない水槽の中で、共食いもあるかもしれないが、ある意味【単一民族】じゃないけど、敵のいない世界へ来た。誰かが買っていく。でも飼われた先で色々な原因で死亡する可能性は大いにある。そして、そこに、私みたいな変な人がペットショップに来て、【めだか10匹下さい】と店の人に言う。あの日あの時、あの店の男の子の網によりランダムにすくわれた10匹。そして、ウーパちゃんの邸宅へこんにちは。そして始まった惨劇。迷惑な話?でも、死体が浮かんでるより、私は食べられて消化されて排泄された方がいい。食べ物もそのまま捨てるんじゃなくて、人間の体内に入って、ウンチになって水洗トイレから流れていく方がいい。手は汚れない。悪臭も放たない。見えない。めだかは死体になる事なく、めだか1匹まるまるウーパの生命に受け継がれたんだから。まるごと。そもそも何でこんな冷静な気持ちでいられるんでしょう?やっぱりめだかの値段?値段で命の重さ、尊さを測っている私に気づいた。めだかの一生終わり=ウーパの成長。ウーパ主体にして考えれば、生まれた時からペットで、ワイルドな世界に無縁。生き餌を食べた事がない。ウーパとめだかが巡り合わせられるなんて事は、実際の世界ではないのかもしれない。でも、ウーパは肉食の生き物として初めて生きた味を味わった。全て人間の勝手な戯言に聞こえますね。でも、カワイソウとか言うけどさ、反射的に、でも、主役は誰?あんたら人間だって魚食べるでしょう?他の動物の肉も食べてるよねぇ。ベジタリアンじゃない限り。多くの魚は他の魚食べてるよ、食物連鎖で、小さいのが中くらいのに食べられて、中が大きいのに食べられて、大きいのは人間に釣られて食べられる。一緒じゃない?結局。弱肉強食。ウーパを主体で考えれば全然良い事。しかも丸ごと飲み込んでるだけで、ジェイソンのような惨劇とか血とかは一切ない。でもめだか主体に考えると180度変わって残酷になる。それでも、この事を通して、色々考えたよ。相変わらず、毎度の事ですけども。この【どっちでもいい】という状況に生きる自分。それを自分以外の生命にもあてた。何がカワイソウで、何ならいいのか?いけにえ、っていう形が頂けないんだと思う。私自身、最初の4匹が同じ日にどのような状況で食べられたのか見てないから、こんな事冷静に考えてるのかもしれない。それでもそれでも、やっぱり一番なんか、やっぱり、、、失礼だな、と思う自分が。値段で命を測った。なんでめだかは安いの?いっぱい捕れるから?いっぱい捕れない生き物は高い。同じペットショップにいた15万円の陸亀の命の重さ、とめだかの命の重さ。体のサイズも違うよ?命の尊さって何だろうね。水銀灯の周りをブンブンしてる何千何万と飛ぶ虫。売ってこそないけど、大量にいる。1匹くらい消えてもなんのこっちゃない。でしょ?むしろ、人間の観点から見たら、死ね、ぐらい思うでしょ。蠅とかも。何か迷惑な生き物だったら、死ねとか思えるけど、何か、めだかは何にも自分に迷惑をかけたわけじゃないのに、なんか、悪かったね・・・・ってやっぱり思っちゃう。それでも無理に正当化しようとしてて。意味わからないでしょう?私の中のおかしな部分が見えてるかも?引いてコメントできないと思うから、マジコアコメントだけ受け付けます。笑。