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カテゴリ:スピリチュアル
昨日の続きです。「ゆるすということ」(ジェラルド・G・ジャンポルスキー、サンマーク文庫)から
**ゆるすためのステップ**の続き ●他人や自分を傷つけたり、罰することなんて無意味と知る ●私には幸せになる権利があると信じる(そして相手にも) ●相手は私を攻撃したのではなく、恐怖におびえて愛を求めているのだと考えてみる ●出会うヒトみんなの中に、無邪気な子供の光を見出す。見かけがどうでも、どんなひどいことをした人でも ●自分の中にも無邪気な子供の光を見出す ●過去の傷ではなく、恵みを数える ●裁きの思いを手放すとどんな素晴らしいことがあるか、探ってみる ●愛は体と心にとって、もっとも素晴らしい特効薬と信じる ●出会う人はみな忍耐を教えてくれる教師とみなす ●「ゆるし」が幸せのカギだと信じる ●自分の意志次第で、愛された記憶以外を消し去れると信じる ●すべての出会いが神聖だと理解する。目の前にいる人たちをイエス、仏陀、マザーテレサなど賢明でスピリチュアルな教師とみなす ●表面的にはどうでも、すべての出会いを神聖とみなし、何かを学ぶ機会として接し、振舞っていく ●「ゆるし」の目的は他人を変えることではなく、心の中でせめぎ合う、自分の否定的な思いを変えることだと知る うーん、そのとおりだけど難しいのもありますね! もう少し、「ゆるすということ」について、メッセージを。 「ゆるす」と「許す」は全然違う行いです。 「許す」のは相手の行為を容認したり自分が我慢したり大目に見る事で、「許してあげる」という上下関係。許す方が寛大で偉い。そして許した方は損をする感じ。 「ゆるす」ことは過去に縛られた自分の心を解放すること。過去の出来事に心を奪われ自分と相手を責め続けるのはとても苦しい行為。責めることや恨むことで心が晴れる事はあり得ないからです。 「ゆるす」ことは自分の為。他でもない自分自身が一番楽になる自分の為の行為。自分自身で出来る事。今すぐに解放してリラックスできる行為です。 アメリカには犯罪者と被害者やその家族を引き合わせるセラピーがあります。被害者が犯罪者をゆるしていく事で被害者自身が癒されるからです。(犯罪そのものを許すわけではなく) どんなにひどい事をされたかが問題ではなく、問題は自分の心が過去に縛られている事。過去に起きた出来事に、今あるエネルギーを使っている事。だから疲れやすいし今問題が起こっているのです。大事なのは「今」。今この時を幸せを感じながら満足して生きていたい。そう切実に思うなら、過去を手放す事。「ゆるす」行為は相手のための行為ではなく、自分自身のための行為です。 (後半は私が偶然出会った素敵なrumiさんの「陽だまりのエッセンス」の記事も参考にしてます。http://blog.goo.ne.jp/mee0351/ ) ちょっとしたことで悩んだり腹を立てたり、過去の傷をなめて悲劇の自分に酔ったり、他人への不満を口実にして、自分自身を見つめることから逃げてしまいがち。実は自分をいたわって幸せにしていくことは自分次第で可能なのに。 この瞬間を大切にして、先に進むには過去や現在抱えているコダワリという重たい荷物を放り投げてしまうことです。 それにヒトを攻撃して逃げてても、矛先は結局自分に返ってきます。ヒトと比べても無意味です。今の自分という存在は、誰もこの世にいなくてさえも、比較を超えて生きる価値のある自分なのです。 コダワリ(執着)を捨て、ヒトをゆるすことで自分もゆるし、まず自分に愛という「こやし」を与えていく。その愛が自分のコップから溢れるのを感じたとき、ようやく他人にも本物の無償の愛を注げるようになるのではないでしょうか。人生は自分やヒトに本物の無償の愛を与えられるようになるための、学びのプロセスであると思います。 キライなヒトや敵にさえ愛を与えるにはどれだけ修練が必要か(-_-;)でも、それは聖人に任せておくとして、今は自分自身にもすべてのヒトにも、愛に溢れた一年になりますようにと、祈ることでしょうかね。 来年もどうぞ、よろしくお願いします。皆さんとの出会いに感謝しています(^^♪ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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