天気大荒れ、雪かもといっていましたが、幸い、福岡は薄日も差しています。感謝の気持で、これから別府の温泉に出かけてきます。
私は子供のときからいいようもなく孤独な感じに悩まれてきました。孤独を紛らわそうとして、本当は必要でもないような活動や付き合いをしたりして間違った道を歩んだ(もちろん必要なプロセスですが)こともありました。
今では、人はひとりでいる時間を楽しめるのかどうかが、成長のひとつの証(あかし)であると思っています。一人旅、一人で公園やカフェでたたずみ本を読む、美術館に行ってみる、映画を見に行く、自然の中をハイキングする、そうすると、普段はできていない、自分と向き合い、対話することができます。特に、長い時間人気のない山を一定のペースで歩いていると、自分がすぐそばにもう一人いて、語り合うような感覚になることもあります。
ホントは自分はこれからどうしたいのか、とか、あの出来事は何だったのかとか。整理していくことができると思います。
自分と語らうことが苦手というかたは是非、静かなところを時間を掛けて散歩してみてください。
忙しい日々に流されていると、自分をメンテナンスしきれないまま、ゆがんでいってしまうのかもしれません。カフェでボーっと過ごすだけでも少しは違うと思います。
実際私も、十年ほど前、自業自得のきつい試練が続いた後には、山歩きもたくさんしたし、富良野・美瑛への一人旅を繰り返しましたが、自分について少しずつ整理して未来に歩き出せた気がします。
「・・スピリチュアルノート」の中でシルビアは十の恐れについて克服するヒントをくれています。
そのひとつとして、「孤独と一人で過ごすことの違い」を語っています。
孤独からいやされるために他の人ができることはなにひとつないと。いやしてくれるのはあなたの内面だと。一人で時間を過ごせない人はそれが課題。一人ででいられるのは自分が誰であるかを知っていて、自分が好きだということだから。あなたが誰で何をすべきかを他人に決めてもらう必要がないから。自立した人として自身の魂と向き合いスピリチュアリティーが差し出す喜びや愛や平和や力を受け取ることができるから。たえずあなたを苦しめる孤独は魂にぽっかりとあいた穴。埋めることはあなた以外には誰にもできない。
アローン、とロンリネスは違うのです。一人でいても、寂しくない魂の強さをもちたいですね。それでこそ、人に愛を注げると。
例えば一人でカフェに行くのが得意な人と不得手な人はいます。でも、元々得意な人は成長の機会がないのです。不得手だからこそ、成長の機会が得られると。虚栄ではなく、自分に魂の誇りと自信に満ちた愛を持てるうになったとき、堂々と一人で時間を楽しんでいられるのではないでしょうか。