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カテゴリ:スピリチュアル
スピリチュアリズムの広がりを宗教とかカルトと同一視する知識人が危機感を訴えるコメントを週刊誌などで見ました。でも、いたってシンプルなスピリチュアリズムと既成宗教やカルトとは全然違うと思いませんか。
日本の古神道やネイティブアメリカン、ケルトの教えや初期の仏陀やキリストなどの考え方にはスピリチュアリズムに近いものがあった気がします。でも、宗教は権力と結びつき支配の仕組みの一部になってきました。現世の利益を優先し、他の宗教宗派を排撃したり、権力者やそれにおもねる弟子の都合やらで歪められて行くものなんでしょう。 宗教が神様といって勝手に色々想像しているのは、宇宙の源(みなもと)とか魂の故郷のことなんじゃないでしょうか。それなのに神様はたくさんいるのか一つなのかという教義で争ってきた歴史が。だけど、神様は根源はひとつだとしても、いろんな姿で現れるのでしょうから、ひとつでもあり、たくさんでもありますよね。 それに、高い次元では、時間も存在もこの三次元とは違って、あなたは私でもあるし、過去も未来も現在も直ぐ近くにあって、ひとつ=たくさん、現在=過去=未来でもあり得るんと思います。この世の中の価値尺度でスピリチュアルな世界観についての「教義」を争うこと自体無意味と思います。そもそも「教義」なんて不要と思います。特に、うちの教えは正しい、寄付しないと地獄行きだ、とかいうようなカルト集団はタダの利益集団ですよね。 スピリチュアリズムが既成の宗教やカルト教と誤解されるのを避けたいものです。根本的に違うと思いますが、霊的なことに触れるだけで偏見に基づいて誤解されやすいでしょう。 オーラの泉が残念ながらゴールデンタイムに変わるそうですが、そこで偏見との衝突が起きる可能性はあるかもしれませんね。 魔女なんて、教義にとらわれず科学的な探究をしたり、民衆の中でハーバリスト・セラピストとして活動するものだから、医薬や生活の利権を独占していたキリスト教会に都合が悪くて敵視され、魔女狩りにあった面もあるようです。 こんなこと、まさかと思うでしょうけども、スピリチュアリズムが弾圧されるというのは、決して昔のことではないと思います。 これからの時代、スピリチュアリズムがますます浸透していくと、今の時代の支配思想である「弱いものからの搾取」して金儲けをすればいいという思想=拝金主義、利己主義とは対立しますから、社会的に迫害を受ける可能性はあると思います。既に、オーラの泉に対する警戒は出てきていますしね。 スピリチュアリズムには教義とか宗派や妙な組織は不要です。 私達が直感を取り戻し、有りのまままの宇宙とのつながりを回復すること、感謝に生きる道を取り戻すことではないでしょうか。 そこにはお布施とかツボとか立派な墓とかは、いらないはずですよね。 死んだヒトは墓にはいません、千の風になって大きな空を吹き渡っているのですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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