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購入履歴

2007年03月20日
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カテゴリ:スピリチュアル
どうして世の中にはいわゆる善人と悪人がいるのでしょうか。神様がいるならみんな善人に導けばいいじゃないかと思う人もいますよね。
罪深い人は幸いである。救われるだろう。というような表現が聖書にイエスの言葉としてありましたかね。禅宗の親鸞の悪人正機説でも、善人なほもて往生とぐ、いわんや悪人をや。と、悪人こそ救われるような説き方※。
人は罪をおかして罪に気付いて悔い改め、再出発する機会を得るのでしょう。
罪もない代わりに特に功もない凡庸な人生を送る人がいわゆる善人なら、つまらない気もします。平凡の大切さも学びかもしれないですが、多少は山あり谷ありの人生を送る方が魅力ある人生な気がしませんか?波瀾万丈過ぎもどうかと思いますが。私とか?(笑)

罪を憎んで人を憎まず、仏教からの教えだと思いますが、普遍的な言葉。酷い凶悪な犯罪が許される訳ではありませんが、大なり小なり人は生きていれば罪をおかさざるを得ないですよね。植物を含めて他の生き物の命を食べないと生きていけない存在であることに、小さな頃は悩みました。食べられる存在である穀物や動物たちは人間を怨んでいるでしょうか。切り取られた花は怨んでいるでしょうか?
食事でも、花をいける時も私達は無償の愛に満ち溢れている生きとしいけるものの恵みをいただいているではないでしょうか。罪を受け入れ日々これ感謝していただいきたいです^^)罪は罰を受けて許されるのじゃなく感謝の心を満たす事でこそ救われるのかもしれません。

<悪人正機説;参考Wikipedia>
阿弥陀仏が本当に救いたいのは悪人で、善人は自らの力で成仏を目指せるので、眼目ではないという。ここでいう「悪人」は、法的な善悪を問うのでなく、阿弥陀仏の真実に照らされたとき、自らが悪人であると自省した上での悪人。つまり、真実に目覚めた時、自らが何ものにも救われようのない悪人であると気付かされ、「すべての衆生を救うとの阿弥陀仏の本願で救済されようとしている本当の目標は悪人である自分自身だった、と気付かされる姿」を悪人正機と言うのだそうです。この考えは親鸞に限らず古くから仏教にあるそうです。





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最終更新日  2007年03月20日 20時36分55秒
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