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カテゴリ:スピリチュアル
今日は大分県の国東半島に出かけて、平安時代からのお堂(国宝)が残る「富貴寺」の
「大堂」と、その近くにある「熊野磨崖仏」を見てきました。 これが国宝の阿弥陀堂です。極楽浄土を再現した、宇治の「平等院鳳凰堂」や、奥州平泉 の「中尊寺金色堂」と並び「日本三大阿弥陀堂」のひとつとされ、広く藤原文化が地方に 波及したことを示す、貴重な建築物として知られています。 だから、子供の頃歴史好きでよく見てた中学の歴史の資料集にこのお堂の写真が載って ました。この年で見られるとは・・・。 寺伝によると養老二年(718)開基、天台宗のお寺です。入口の仁王門も、今は新緑 だけで地味ですが、紅葉の時期にはこんなのに美しくなるそうです。 富貴寺がある国東半島一帯は、仏教文化の宝庫で、数々の歴史遺産が見られ、山岳仏教が 栄えた地として、とても神秘的な装いを見せる場所なのです。 すぐ近くにある「宇佐神社(八幡宮)」は、全国の八幡宮の総元締めですが、大堂は 平安時代に、宇佐神宮大宮司の氏寺として建立されたと言われています。 八幡宮は神仏習合ですからね。 日本古来の山岳信仰の霊地、修行の場としてあったものが、奈良時代の終わりから平安時代 初め頃には寺院の形を取り始め、宇佐神宮の傘下に入ったと推定されてます。 天正年間(1573-1592)キリシタン大名で有名な大友宗麟の時代、多くの仏教寺院が破壊。 しかし、この大堂は難をまぬがれ、平安期の阿弥陀堂を今に伝えています。 (大友宗麟の宗麟は出家したときの名前と高校のときに習って、キリシタン大名といっても 政治的・経済的にキリシタンの側に付いただけ?という印象が。) 中には仏像が三体。内装の彩色は退色してかすかに伺える程度で、保護のためうす暗く されて、撮影は禁止です。本尊の阿弥陀如来坐像は重要文化財で、榧(かや)材寄木造り。 螺髪(らほつ)で、二重の円光を背にしています。 現在は素木の風情ですが、もとは華麗な漆箔像だったらしく、螺髪に名残が。 伏し目がちで半開きのまなざし、ふくよかな相貌で、平安藤原時代末期の作と推定。 消えかかっていますが、堂内の壁画も重文です。(壁画と仏像はパンフレットより) 熊野磨崖仏を見るまでには、知らなかったのですが往復三十分の山道を 登らねばなりませんでした。ひと汗どころか、たくさんの汗をかきました。 でも、老若男女、結構来ていました。磨崖仏の更に先に登るとお堂がある模様。 この辺り一帯には、古寺の風情と、道すがらの新緑や花も美しく咲いていて、心に優しい 空気を感じました。 山岳信仰の名残は私の故郷の倉敷の北、吉備路一帯にもあり、駆け回っていました。 どうも、山伏とか行者さんのような心持がこの現世にも影響している気がしています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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