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カテゴリ:スピリチュアル
磨崖物のことを書いていて思い出したことがあります。
2001年3月、当時アフガニスタンを統治していたタリバン(イスラム教)は、世界史的な仏教遺跡であるバーミヤンの磨崖仏を爆破しました。世界史の資料集に載っていたアレが破壊されたの?とニュースにビックリしたのを覚えています。 その後、9.11テロがあり、アメリカのブッシュ政権はタリバンがテロリストを援助・かくまっているとしてアフガニスタンを攻撃したのでした。実はタリバン内部でこの爆破については慎重論も強かったと後で報道されていました。今思うと、タリバンを野蛮なグループと印象付けるため、内部に送られたアメリカの諜報機関のスパイが煽った謀略だったかもしれません。 それはまぁ推測ですが、私がもうひとつ思うことは、仏陀(=ゴータマ・シッダールタ)はあの世で、仏像の破壊をどう思っているかということです。 というのも、彼の教えは、今の仏教とは異なるからです。キリストの教えと今のキリスト教もそうですが・・・。その代表例が偶像崇拝禁止です。彼は死に際し、自分の偶像をつくることを固く禁じたといいます。 仏陀の教えには神はおらず他宗教とは性格が違います。心の迷いや曇りを払い、澄み切った平和な気持で生きることを説いたものです。人間のみならず、森羅万象すべてが宿す本性を仏性(ぶっしょう)と呼びそれを大切にしながら、日々を暮らすこと以外に縛る決まりもなく。仏陀はシンプルに生きました。臨終の言葉は「汝自身のともしびとなれ」。自分を導くの自分なのだよ、あなたもどうぞ、と。 とすると、今に伝わる経典、仏画、仏像の類いは、仏陀の教えに反する虚飾。お寺を作ったり、坊さんという職業も本質からずれたことに。仏陀は、何かに頼ったりすがったり、特定の形にこだわったりすることを全否定したからです。そして、『「こだわらない」という姿勢にこだわる』こともまた放り出せということですから。 ところが、社会勢力として宗教組織として、拡大を図ろうとすると、布教には分かりやすい偶像が欲しくなる。 こんなのを寺で見たことはないですか。 仏陀が生きていた頃からあった、仏足跡(ぶっそくせき)。インドで教えに立った土地の石に足跡を刻んで仏陀を偲んだといいます。人にかたどった偶像はダメでも「仏陀の足跡」なら、ということか。 次に紀元前3世紀ごろ、インドのアショカ王が仏陀の遺骨(舎利:しゃり)を納めたストゥーパ(塔)を礼拝の対象とし、広めました。これも日本の寺にもありますね。 写真は木々に埋もれて奇跡的に残っていたサーンチーの遺跡のストゥーパ http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/unesco/01_sanchi/sanchi.htm 仏陀の死後も長い間、人間像としてではなく、塔や聖樹(菩提樹)・聖壇(台座)などに象徴させて、礼拝していたのです。 (もっとも、仏陀自身は、自分個人を礼拝されようとは意図していなかったと思いますが・・・) ところがアレクサンダー大王がペルシャ(イランやアフガンのあたり)まで東征に来て、ギリシャ文明が影響して仏像が作られるようになっていきます(ヘレニズム文化)。マケドニアから世界制服を目指して東に攻めて、インドのインダス川まで達した後も、ペルシャやインドに定住したギリシャ人技術者もいて、ギリシャ彫刻の技術で仏像をつくり始めたようです。 こうして仏陀の死後、実に約500年もたってから仏像がつくられ始めたのです。 さてそうすると、美術とか文化としての意味はあっても、バーミヤンの大仏とて、仏陀の本意には沿いません。タリバンはイスラムの教えから偶像を否定していたが、仏教も本来は同じ精神。「形あるものは壊れる。」爆薬で崩れるような像なんぞ、仏性とも仏道ともゆかりはない――仏陀ならそう言ったのではないでしょうか。 でも、仏像や仏画や寺院の素晴らしさは宗教の遺産というより、美術や文化、精神性の発露として尊重されるべきものですね。迷う人の心を澄み切らせ、救うきっかけになっているのですから。私も中宮寺の弥勒菩薩像の微笑みに救われたことか。 (国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑」(アルカイックスマイル)の典型として評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。http://www.horyuji.or.jp/chuguji3.htm) ただ、壊れたり、消えていくのもこの世の理(ことわり)。 壊れた、なくなった、野蛮だと騒ぐのを見たら、仏陀はいさめるのではないでしょうか。 おーい!石像が壊れたってどうしたって、オレはここにいるんだから、まぁいいじゃないかと。 キリスト教も偶像禁止でしたが後に、マリア像やら色々と。イスラム教は徹底してますね。 蛇足ですが、ストゥーパと五重塔の関係について。 日本でも古代にはお寺を建立する場合、仏陀の遺骨を納めたストーゥパ(塔)が境内の中心部に建てられていました。塔は釈尊のお墓で、お寺はその仏舎利を崇拝する施設だったからです。ところが、時代が降ると「仏舎利」崇拝から「仏身」崇拝となり、塔婆は境内の中心部から離れいてき、その代わり、仏像を置いた金堂が中心の位置を占めるようになってしまったのです。 仏陀の墓は円形のおわんを伏せたような簡単な形でこの円形の塚を梵語でストゥーパといったのです。そして、インドを統一したアショカ王によって何万もの分骨がされ、石柱のストゥーパがインド各地に建てられました。ストゥーパは「積み重ねる」という意味。(中国では「卒塔婆」) 形も半円から台が付き、傘が付けられ、仏教宇宙の五大元素、地(四角)水(円)火(三角)風(半月)空(宝珠)の五輪を重ねる五輪塔へと発展します。巨大な塔へとも変化しました。三重の塔や五重の塔などです。屋根の上にあるアンテナのような部分を相輪といいこの一番上の部分、「宝珠」(ほうしゅ)こそが、お釈迦さまの遺骨を納めるところ。 五重塔って、実は仏舎利を納めたストゥーパ、仏陀のお墓だって、ご存知でしたか?! 写真は法隆寺の日本最古の五重塔 以前の四天王寺や飛鳥寺の伽藍配置は塔が中心でしたが、法隆寺の伽藍配置は金堂と塔が並んでいます。法隆寺以降建立された寺院の多くは、塔が伽藍の中心から外れていったのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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