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購入履歴

2007年05月21日
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カテゴリ:スピリチュアル
日本人は古来から、なんで鏡をご神体として拝むんでしょうか。

鏡は勾玉(まがたま)や剣(つるぎ)と並び三種の神器とされます。
神道ではご神体として鏡が収められています。
正月には鏡のような丸い「鏡餅」を飾って祝います。
外国でも鏡は魔法や魔よけ、異空間の入り口などとされます。
その不思議さの意味について考えてみます。

神棚に手を合わせると正面にご神体鏡があります。そこには私たち自身の姿が映り、
知らずのうちに、私たち自身の姿も拝んでいるのです。
神様を拝みながら私たち自身をも拝んでいたのです。

この意味はなんでしょう。
神様は自分と離れた存在でなく、私たち自身に神様の性質があるということでは
ないでしょうか。

しかし、大切なことは、鏡に映った姿は自分ですが、実物とは左右が逆なのです。
手を合わせる人の左右のバランスが崩れていれぱ、拝む人の姿と鏡に映る姿は離れて
しまいます。

自分の姿をご神体に映った姿と一体化できるのは、左右がバランスし調和した姿。
このバランスは仏陀の中道(ちゅうどう)、孔子の中庸(ちゅうよう)と通じます。
そして、この左右のバランスとは「陰陽」の調和がとれた姿ではないでしょうか。
陰陽の調和こそ神そのものと一体化した姿。
天も地も、火も水も、善も悪も、光も影も、男も女も・・・。バランスの取れた姿。

さてそうなるためのヒントは・・・。
「鏡:かがみ」から「が」を外せば「かみ」となります。言霊(ことだま)の不思議です。
その外した「が」とは「我」のことではないでしょうか。
鏡に映る姿を神に合わせるには、心の「我」=エゴを手放さねばならないと示しています。
「我」=エゴを手放すことでアンバランス、不調和の種も手放せるのです。

どんな見栄えの人が拝もうと、その人自身の中に調和が取れていれば、ご神体の鏡に
神の世界が映ります。
調和の取れた神の世界は人それぞれ、みな違った形であるものです。

どうでしょうか、こうしてみるとわが国古来の「神道」ってすごくないですか。
鏡をご神体にする意味は、偶像崇拝とは違うものがあったようです。
---
鏡は銅の鋳造品である「銅鏡」が古く、青銅鏡、鉄鏡となっていきます。
銅鏡はエジプトの第6王朝(紀元前2800年)には既に手鏡のようなものとしてあったそうです。
日本には弥生時代中期に中国大陸から朝鮮を経て伝来しました。国産の鏡が作られたのは弥生時代後期で、奈良時代には技術も進歩し中国(唐)製に並ぶほどでした。
その後、青銅鏡、鉄鏡に変わります。手入れが大変なようですが、神具としては今でも銅鏡が用いられているといいます。





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最終更新日  2007年05月21日 22時18分05秒
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