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カテゴリ:スピリチュアル
90過ぎて亡くなった宮崎の祖母のお葬式に出て一泊だけして戻りました。
仏式、浄土真宗で、お坊様のお経は南無阿弥陀仏が何度も聞かれました。 今回、お骨を拾う機会を初めて得ました。 燃え残ったものを拾う感じで、形は殆ど残っていません。 諸行無常を実感。しかし、たましいは滅びることはないのです。 ただし、冥土に渡るとき、お金も名声も地位も何の意味もありません。 冥土で裸の自分になって、人生を振り返って、どう思うか。 恥ずかしく、後悔、良心の呵責にさいなまれれば、自ら光の世界を出で 暗闇の中で反省のときを過ごすのです。しかし、飯田先生のもとを訪れる 後悔のさいなまれた魂によると、その誰もいない暗闇は、すごい寂しいが、 しかし、愛にあふれているそうです。 さて、お骨は、近しい人から順に頭の方から納めていきます。 私のはとても腰の辺りで大きかったので、大腿骨だったみたいです。 最後に最も近しい人二人で、ノド仏の骨を入れて最後に頭頂骨をかぶせて 骨壷にフタをします 最初に入れる骨は、箸(はし)渡しという儀式となり、最も近しい二人で 骨を箸と箸で宙で渡してからツボに入れます。 だから、「箸と箸で食べ物を受け取る」のは、タブーなのですね!! この歳で意味を初めて知りました(^^ゞ お骨を拾って会場に戻ると、「千の風になって」のオルゴール曲が流れていました。 そういう時代になっているんですね。 南国気質もあるのかもですが、何だか全然、暗さのない葬式でした。 帰り道は浄化のスコール、土砂降り。 こちらは南国、宮崎の花です。鮮やか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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