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カテゴリ:スピリチュアル
昨晩、カタリ派・アルビジョア十字軍から調べていたら、連想ゲームのように
自分が気になっていたフレーズとリンクして、ある種のシンクロが垣間見えてきました。 お時間のある方は果てしない(過去生をたどる旅かも?)徒然草にお付き合いください。 アルビ(Albi)はフランス南部ピレネー地域の県庁都市で、マグダラのマリアと 聖なる女性性を讃えるカタリ派の拠点だったので、カタリ派はアルビジョア派とも 言われたそうですが、実は同じ南仏の、トゥールーズの方が最大の拠点だったそうです。 ポンヌフ(橋)で有名ですね。 トゥールーズ?印象派の画家達の拠点でもありますね。 「なお画家トゥルーズ=ロートレックは、トゥルーズ伯爵家の末裔に当たる。」 やっぱり。カタリ派は私の憧れの地、南フランスで栄えていたのでした。 南仏の田園風景は、北海道の美瑛のパッチワークの丘そのものが延々続く景色のようです。 私も含め美瑛の丘で心を奪われる人の多くは、南仏にゆかりがあるのかも。 南仏、プロヴァンス、南スペインには一度は行かないと、と思っています。 中世のフランスは北部と南部で言語(オック語)も文化も異なりました。 トゥルーズとは北部言語で、古代ローマ時代から、オック語でトロサ(Tolosa)と呼ばれた。 フランス王に名目上帰属しても、トゥルーズはトゥルーズ伯爵の宮廷所在地として、 12世紀から13世紀にはパリをも凌ぐ文化水準で、トルバドゥール(※)など中世文芸の 担い手の活動拠点の一つで、商業都市としても繁栄した。 しかし、カタリ派の活動の中心地であったため、アルビジョア十字軍によって攻略された。 南仏を自らの支配下におさめたいフランス王の思惑とカタリ派の拡大に悩む教皇庁の 思惑が一致した結果。 ※トルバドゥールは、プロヴァンス語で「見いだす」意味で、詩と歌を作る人、 つまりシンガーソングライターのこと。11~12世紀に南フランスで盛んになった 世俗叙情歌や、それを作り歌う人のこと。多くは、騎士道と宮廷の愛をテーマに したもので特に、結婚した恋人を想う真実の愛の歌が有名。 元々の形式は同じ旋律を繰り返す韻文詩で、騎士階級の没落とともに衰退したが、 ここからロンデルというリフレイン付きの歌曲に発展し、この形式が、現在の ポピュラー音楽を含む、歌曲様式のひな形となった。 シャンソン、挽歌、バラードなどもそう。 トゥルーズには大聖堂があり、フランスからピレネー山脈を超えてスペインへ至る サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼路でもある。 紀伊半島の参詣道である「熊野古道」と並び、巡礼路として世界遺産に登録。 サンティアゴ・デ・コンポステーラには、聖ヤコブ(スペイン語でサンティアゴ)の 遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並ぶキリスト教の三大巡礼地。 聖ヤコブは『マルコによる福音書』によると父と兄弟のヨハネと一緒にガリラヤ湖畔の 漁船の中で網の手入れをしていたら、イエスに呼ばれ、そのまま父と雇い人を残して ヨハネと共に弟子になった人。 おまけの連想。 中世叙情歌といえば同じ頃、平安末期の日本にも「今様」「歌謡」(流行歌)という 中世民衆による歌唱文化文化がありました。 多くはトルバドゥールと同じく、信仰や愛をテーマとし、同じく連歌形式です。 日本史を学んだ方は「梁塵秘抄(りょうじんひしょう)」に聞き覚えがあるでしょう。 編者の後白河法皇(1127-1192)は、若い頃から「今様」にハマって、のどを何度も つぶしたほどだそうです。彼は歌謡が後世に残るように願い、歌詞を集大成したのです。 ごく一部しか残っておらず、歌唱法についての記述は難解で解明されていないようですが、 歌詞だけでも、その時代の庶民から貴族までが、口ずさんでいた歌謡の文化と、 生活のスピリチュアリティーを察することが出来ます。有名なものをご紹介。 巻第二 法文歌 佛歌 仏は常に いませども 現(あらわ)ならぬぞ あはれなる 人の音せぬ暁(あかつき)に ほのかに夢に見え給ふ 仏様は私たちのそばにいつもいらっしゃるのに、 現実世界ではこの眼で見ることは出来ない。 けれど、まだ人が寝静まっている暁の夢の中に、 ちらりとお姿をお見せになることがあるよ。 どんな曲でどう歌唱していたのでしょうね。 南仏、そして日本の中世の人たちの日常的な精神性は豊かなものだったのでしょうね。 今の時代も、千の風になって、が流行していますが、みんなで口ずさむところまでは いっていませんね(笑) 連想はまだまだ続きますが今日はこのへんで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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