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あまり気候に関して文句を言うタイプではないので、
厳しくてもそれなりに楽しいこともあるのですが、 2月はずっとあまりいいことがない月で、本当に早く春になって欲しい・・というか、このカレンダーは見たくないと思うのです。 昔から、夢見る夢子さんタイプの最たる人物で(自分で言うなよ!)・・偶然とかシンクロとかそういったことに惹かれて人生を選んでしまい、そこで出会った命に感謝もあり、時には恨み自分のそういった現実味のなさを嫌いにもなる。 今、感じたことは、バランスを取る事だ。 現実面はトコトンシビアに、他人への共感はほどほどに (これが一番自分が弱い・・・優しさではなくて、個人主義が周りの人間ほど出来ていなかった) 今なすべきは真に自分が現実的に社会的にも自立して、その後で誰もを助けられる、また援けることを忘れることがない大人になれるようにと念願する。。。 それでも、ただ左脳だけの、マニュアルで時間で仕事し恋愛し子供を飼育するのではなくて、命の本質を見つめようとすることを忘れてはならないし、夢を見ることも忘れてはならない・・・。希望がなくて、理想がなくて堅実に生きるためだけに、神は私達を生まれさせ給うたとは思えない。 自分の・・女性の?本質は、スピリチュアルなもので命と直結してるのだと思う。サインに敏感でいたいと願っている。 この二つのバランス、なのかな。 最近の出来事の現実面は・・・ずっと娘が40度2回と、あとすっきりしない熱が続いて、インフルエンザではないが 元気すぎて遊びに行きたいとぐずったり、元気になったのに機嫌が悪かったり、私が今度は寝てると心配でか不安定だった。 やっと直った昨日は、近所の私大の幼児教育の研究室へ。 予約がのびて、やっと会えた先生は園長先生のような上品なタイプで、今まで区の検診などでは人がごたごたして時間もなかたし、先生も流れ作業的に感じたが、この日は個人宅のような部屋で、並んでる靴は私達とあと1組だけだった。 娘は、その人に話しかけられるなり、大事なプーさんを渡していた。いい人、と分かったのか。 一時間半、私達が話すあいだ良く遊んでお片づけもできた娘。 トイレは8割できるし、食べないものは減ってきたし、 きにしてるコミュニケーションもだいぶ良い感じ、手を繋いで歩く、言葉は名詞があいかわらずないが、例えば「おいしい」は食べ物、食べたい、など全般をカバーしてるとわかっているし。 冷静に見てくれる信頼できる人と話して、出来る事は結構あるなあ、というのと、やっぱり娘は謎の宇宙人(か、天使?)タイプではあるものの、以前も他の人に言われたとおりある日突然伸びるかもしれないと感じた。。。 何か個人指導の機会が欲しいと、頑張ってこんな機関まで出向いたのだが、得意なこと、好きなことはありますか?と訊かれ おお泣きの時は歌だけが有効とか、1~10をカウントするときがあるが、視覚ではなくて音で覚えてるようだと話たら 春からピアノと音楽の先生に会えるようにします、と言ってもらえた。 一才半のときも、歌が有効な子かもしれないと言われたことがあったので(そのとき娘はイスをぐるぐるしてただけで、私には先生の言葉は謎だった) もし、なんの不安もなくおしゃまなお喋りとともに過ごしていたら出会えない人に会えることは、神に感謝したいと思った。 外に出たら大学のチャペルの鐘が鳴っていた。 私はもともとごく小さい時から家族とは関係なく、キリスト教的なものにシンパシーを感じていて、もちろん大人になった今は、罪のない信仰心の持ち主とそれを利用する教会権力、戦争の歴史に対して宗教が演じてきた役割も現在の酷い状況も分かっている。 しかし、ここのところと、それから以前母が亡くなったときに身近な命が終わる事にやはり納得がいかず 理性はアインシュタインの理論についての深夜番組が癒してくれたが、 気持ちにはところどころで(レミゼラブルで修道院の壁にある祈りの言葉とか)キリスト教的、とくにマリア信仰のサインがあった。。 生まれ変わりや催眠療法に関心を持ったのは、自分の中ではアインシュタインの番組を見るのと変わらない。脳をスキャンしてみたい、という気持ち。演劇で見知らぬ人物が出てきたのと同じ好奇心かもしれない。 それと同時に、心。風呂に入るとき懺悔の気持ちの時には、聖母に対して言葉が出てくる。自分が女性であることに今だとまどいと、母親の神格化があるのかもしれないが・・・。 祈ることは、宗教とは関係なく、自分への癒しとして、それから現在の地球の状況に、純粋に祈りたいと思った。 それもメダイのマリア、ファティマのマリアと同じだろうかと思った・・・。 今回つまんない日記ですいません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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