カテゴリ:Midnight
アスベストという言葉を初めて聞いたのは、中学の理科の授業だった。
当時教わっていた先生は何となくピーター・フォークに似た雰囲気を持っていて、 どこか飄々としていてちょっと粗野だけど下卑たところは全くない、 当時の僕の理想の大人像の一人でもあった。 その時何を勉強していたのか、どんな話の流れでアスベストが出てきたのかは、 よく憶えていなくて、雑談の好きな先生だったから何かのついでという感じで 脈絡もなく口にしたのかもしれない。 それなのにアスベストという言葉をはっきり憶えているのは、 学校にはアスベストという危険なものが普通に使われていると聞かされたからだ。 うちの学校はまだできて数年だから大丈夫だけど、古い学校には壁にヒビが入って、 壁の中のアスベストがむき出しになっているところもあると言われ、 思慮の足りない子どもだった僕は、ただ単純に自分が新しい学校にいることを 幸運に思ったりした。 ただ、先生はその後で、アスベストはこの学校でも誰もが触れられるような場所に 使われている、と言った。 それは、理科の実験などで使う、アルコールランプやガスバーナーでビーカーを 温めるときにビーカーを乗せる網だ。 理科の時間のことを思い出して欲しいのだが、 そうした網には中心に白い円があったのを憶えている人も多いと思う。 その白い部分がアスベストだ、と先生が口にした。 だから、その網を使うときは炎が直接アスベストを焼くのだから、 理科室にはアスベストを含んだ熱気が充満することになる、とも。 そう言って先生は僕たち生徒を脅かした後、突然ニタリと笑い、 だけど、去年か一昨年だかにアスベストの網は危険だからということで 一斉に安全な網に取り替えられたから今は安全だ、と言われ、 教室中から安堵の息が聞こえた。 自分が安全だということで安心したせいだろう。 その後先生が言われた、だけど理科の先生は何十年もアスベストの空気を 吸ってきたわけだから、他の教科の先生よりも早く死ぬかもしれない、 という言葉は、ただ聞き流すだけだった。 それ以来、本当に久しぶりにアスベストという言葉をニュースで聞き、 連日のアスベスト報道を見るにつれ、アスベストの危険性はかなり前から 指摘されていたのに、最近まで野放しに近い状態で、未だに苦しんでいる人が 多いことに、愕然とさせられ、怒りすら覚える。 そして、アスベストのことを教えてくれたあの先生は今もお元気だろうか、 と考えるのだ。 掠れかけた記憶の中で、小柄で頬がこけた感じのするあの先生が 「理科の先生は早く死ぬかもしれない」と言ったとき口元に浮かんでた笑みには、 自虐的な笑いが混ざっていたように思え、僕は身体をぶるりと震わせた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.07.30 02:18:10
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