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カテゴリ:気になったフレーズ
ラジオでふと耳にした、国の偉い人が言った
「教育の力を見直さないといけない」 というコメントを聴いて、あらためて違うと思った。 それは、「教育は力ではない」ということ。 雑誌の特集などで「教育力」と書いてあるものを読むと かなりハードに一方的に教える、統制するものか、 柔軟に個を育てているメソッドのふたつに大きく分かれる気がするが、 これは両方とも力なのか?まったく別の物ではないか? どうも、教育を 政治力、軍事力、経済力(←思いついた順)みたいに、 考えているふしがあるような印象を受ける。 縮小と拡大という路線と同じ尺度で見ている気もする。 もっとしなやかでひろがりのあるものだと思うのは私だけか。 そうでなければ、ひとつのフォーマットの上で、 絞ったり、ひらいたりすれば失敗は出ないだろう。 そういう一本の軸で話せるものではないから、力といえないと思う。 学力なら高低で、筋力も強弱で表せるが。 イメージだが、力で表現するなら 3つくらいの力が共存して成り立つものではないか。 生き物にも、動物や植物とあるけど、 植物的なパワフルさというのもある。 動的なハードに教わる面、静的なのびのびとできる面、 植物的なパワフルさは時間をかけて静的な面で伸びる。 どちらかだけでなく、これら両方がまなぶ場に揃わないと、 少なくとも日本型の「教育の力(=教育)」とやらは伸びないのではないか? また、この~力という言い方で 教える手段・メソッドだけをとっかえひっかえするのも 最近の日本で非常によくある話なので、 危なっかしいなと思う。 土台のない家は倒れるでしょ! たしかに、見た目は大丈夫そう。 …それって いつだかの手抜き工事と同じじゃん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Nov 13, 2006 04:35:04 PM
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