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カテゴリ:日々雑感
ない。
やはりない。 段取りが悪いということばがあるが、私の場合は段取りが「ない」のではないかと思うことがしばしばある。 たとえば引越し。10数回しているものの、よくマニュアルにある通り「1ヶ月前にはこれをしましょう」的に進むわけはなく、 超突貫工事的な引越しに慣れている(?)というのか、常に挑戦的だ。 そうして、 「今回は作業のスピードアップが計れているか」、 「ダンボールの数はどれだけ増えているのか」 といったわが部屋の未知の部分へのエクスタシーに酔っている。 家の契約期間というとたいがい2年の倍数だ。 きっとわが家も進化していっているだろう。 よく退化していくこともあるが。 …書いていてわれながらアホかとつっこみたくなる。 しかし、その危険性ゆえ、麻薬のようにやめられないのである。 そんなこと書きながら、麻薬ってどんなの?と思ってしまった。 斉藤孝さんの本に「段取り力」という本がある。 が、読み始めてすぐ本を閉じてしまった。 なぜかというと、そう、よく段取ってつくられた本だからだ。 いったい何のために買っているのか…。 斉藤さんに何のケチをつけるつもりもなく、ただすごいなあと思ってしまった。 私はエッセイ好きだからか、常に「意外性」を求めるふしがある。例えば、村上春樹さんが、電車の切符をなくさないようにいつも丸めて耳の穴に入れているだとか、椎名誠さんが海岸で始めた浮きと木の棒を使った野球が全国に広まっていること、7番バッターのホームランなどだ。 しかし、そう考えていくと、段取ったからこそできた、必然のような出来事もあながちキライではない。 たとえば、昭和35年の大洋ホエールズの前年最下位から奇跡の優勝。 これは、はたから現象だけ見れば、偶然だ、なんだそりゃ!!な話だが、ちゃんと事前にやっていた2年間の下ごしらえが結実しただけにすぎない。 かなり長めの段取りである。しかし、これも意外性の一種だ。 段取りに憧れ、段取りを嫌う、なんだか小学生の男の子が好きな女の子をいじめてしまうのに似た想いが段取りにあるのかもしれない。 ま、そんな段取り嫌いへの想いは、極力自分の作業だけにしときます。みなさま。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Oct 15, 2007 11:04:09 AM
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