|
カテゴリ:カテゴリ未分類
長い間、「モバイル」に憧れていた。 その言葉が表舞台に登場するかなり前からだ。 いまでは当然の存在となった携帯電話やノートパソコン。 デジカメも、アルバムを持ち歩いていると考えると、そのひとつで、 ipodなど音楽プレーヤーもそうだろう。 小学校2,3年の頃、 古めかしい、銀色のカセットがひとつしか入らなくい大きなスピーカーもひとつのラジカセの電源プラグを 壁にあるコンセントの「穴」のパーツをはめれば音楽が聴けるだろうと思っていた。 馬鹿だけどおおらかだった。 そんな部品を近所にできたばかりのホームセンターで買う小さい子もおかしいけど、 そんな部品をコードの先にぶらぶら下げて大きなラジカセを持って外を歩く小学生も笑える。 「なんで、コンセントにいつもみたいに挿したのに動かないの?」 思ったようにはいかなかったけれど、それで満足だった。 結果はどうあれ、モバイルに向けて、自分なりに何かやってみたかったのだろう。 まさか音楽プレーヤーが、ジッポーライターくらいのサイズになるとは夢にも思わなかった。 (もっと小さいのもあるけど) まだまだ歌手の歌をテレビを録音していた頃だから。 ちょっと家族の声が入ったり、電話が鳴ると 「また1週間待たないと」と困ったりしながらな時代だった。 その頃は、家のコンセントを改造しようとして感電したり、 ゴルフボールで大火傷しそうになった。 これらはモバイルと違うので、またの機会に。 ただ、想いに向け、シンプルに実践していったというのは同じだったと思う。 ラジオもいい。 スイッチを入れると、いきなり囲碁の解説をやっているかもしれないし、 ハードロックの爆音が流れるかもしれない。 あのなにが出てくるかわからない、おもちゃ箱的な感覚がたまりません。 昔も今も変わらないモバイルなものと言えば、文庫本。 最近は新書もいいなと思うけど、外に出るときそっとカバンにしのばせることができる。 旅先でも2,3冊持って歩くことができる軽さ。 「このへんにいい文章があったよなあ」 とあいまいにたどる指先の記憶。 それは何年経ってもなぜか意外と外れない。 この手軽なサイズに様々な分野の知識を圧縮しようとした人は 超大容量のハードディスクをつくった人よりすごいのでは?と思う。 厳しい制限の下で、使い手の使い勝手から発想してつくっているから。 コストダウンの重視と高機能化から、こうした発想からのものづくりが減ってきました。 さて、小さい頃から憧れだったモバイル、 どうも、あるサイズに、そこそこのものを入れることが粋なモバイルのような気がしてきました。 そういうものは、関わっていて疲れない。 大きすぎると不格好だし、運ぶと体も痛くなる。 機能がそこそこでないとしたら、とことんカスタマイズできるものなら好き。 やはり、自分にとって最高のモバイルは本なのかもしれません。 そんな本に偶然見つけた藍染のブックカバーを着せる。 理想としていたこのモバイル全盛の時代でも、ふと戻りたくなる本が2、3冊あります。 それは時代別であったり、大人になってからはほぼ変わらなかったり不思議な存在。 ただ、戻ってみても、その本の中にはいったい何が入ってるか、 僕もそれほど詳しくは知りません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 29, 2008 02:38:39 AM
|