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女流作家の林芙美子は、その著書『放浪記』の書き出しで、
「私は宿命的に放浪者である」と書いている。 大山のぶ代(朗読)、林芙美子(原作)『大山のぶ代:朗読「放浪記」(林芙美子)』 そんな人を学校の先輩に持ったから、自分も放浪しまくってるのか…?と思ってしまう。 いや、放浪なんてかっこいいものではなく、単に西に東にあっちいったりこっちいったり、 標高上げたり、また下げたりである。 これまでの引越し回数を冷静に数えてみたら、11回していた。 まだ人生50年はあるぞ、予定では。 ある文学館で、彼女に会った。もちろん展示の中の彼女だが。 出身地こそ違え、質素に暮らした東京の街も同じことを知った時、つい笑ってしまった。 あなた、旅でどこの街に行っても文学館にいるじゃない?とも思って、つい。 ただ、決定的に違うなと思うのは、この人ほど激しくドカンな人生を生きていないこと。 それは、漁師の町に生まれたか、百姓の町に生まれたかの違いではないか。 もちろん、激しくドカンな人生は林芙美子、漁師町の方である。 そういえば、中学の時の野球のチームメイトに漁師町生まれのがいた。 いつもさらしに木刀で登校していたが、遠くの高校に入学して、行方がわからなくなってしまった。 結果がわかるのが怖くて本気で探していないが、なんとなく思っている結果はある。 そんな激しさについていけないあたりからして、 私は宿命的に百姓なんだろうなと思う。 そして、それが幸せなんだとも思う。 さて、そろそろ畑を広げてみようか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 4, 2008 01:33:23 AM
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