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カテゴリ:卯月のびしばしぼのぼの
久々に友人に電話をした。
彼は元々関西圏にいて、福島県の女性と結婚して相馬市に住んでいるはずだった。 震災当時はどうなっているかと思われたが、関西圏にいた頃の友人関係に当たってみると 消息は知れないけれど、生きているようだという。 シックスセンスの情報なので、確実ではない。 そのうち、女友達が奥さんのブログを見つけてくれた。 震災当時は、宮城県に住んでいたらしい。 住んでいる場所は倒壊を免れたけど、物資がなくて困っている、ブログを見た人は郵便や宅配が来てくれるのを見かけたので送って欲しい。もう、米も少ししかない。 福島に移ってからほとんど連絡もしていないのでどうすべきか、と考えているうちに、ブログの内容は 届きました、ありがとうございます!これで生きられます! に更新されていた。 今回の個展で彼に震災の寄付をする予定だったのだけど、連絡も全くしないまま最終日。 うろ覚えの電話番号を打ってみると、本人が出た。 まずはことの経緯を説明して、送り先を確認。 「そう、震災のときは宮城に引っ越しててね。 福島にいたときに、関西の友人のおくさんに家相を見てもらったら、福島のもといた家はぜんぜん駄目、福島はどこも地相が良くないとかで、探した中で宮城のそこが、家相はだめだけど、地相がいい。地相がいいところなんて、ほとんど無いんだよ、っていうので、震災の前の年に引っ越してたんよ。 全壊の人は避難所にいて、そこもはじめの頃は物資が届かなくて大変だったけど、自宅難民はもっと大変で、避難所に行っても自宅難民ということで物資は分けてもらえないし、買おうにも物が無いし、ほんとに、食品を持ってたらその場で刺し殺されるかもってくらい、みんな殺伐としてたよ。戦後の食糧難って、まさにこれ?って、体験してるようだった。 うちはまだ、水が出たからね。水と、カセットコンロがあったんでまだ何とかなったんだけど。 もう、報道してるようなのはまだましなところで、報道できないようなこともいっぱい起こってたよ。少しでも家を空けてたら盗みに入られるとか、銀行やコンビニのATMはほとんどやられてたし、あれとかこれとか。(暴力事件とかも) 原発も9日の余震のときにすでにメルトダウン始まってたとか、情報がこっちはナマで入ってくるからね。 でも、遠くの親戚より近くの他人、ていうけど、今回は、遠くの他人にほんとに助けられたよ。物資を送ってくれたり、こうやって寄付を集めてくれたりさあ。 ほんとにありがとう」 う~ん そうか。 募金は赤十字ではなく、彼のところに送ってよかった。どうやら、赤十字経由では自宅難民まで届かないようだ。 *---*---*---* 投票してください。エントリー中です→ 「癒しのスピリチュアルアートコンテスト」 これは、投票で順位やチャンスが決まるので、より多くの人に投票してもらわないといけないんです。 サイトに行って登録しておけばアーティスト1人につき、1日1回投票できるので、お気に入りの人には毎日でもOKです。 私以外のアーティストの作品も見られるので、どうぞ楽しんでいってください。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2011年12月24日 00時23分02秒
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