読書感想文「サーカスナイト」(その6)
(承前)聴いてみたけど、よくわからない。なんどか、繰り返してみよう。。。 透明度の高い湖の水面を絵に描くとして、どんな色を使えばいいのか、と。水面に使う色は、ないのかもしれない。ところどころの波頭や、陽光の反射を描くだけで、平らな水面には、色がなくてもいいのかも。。。。 「サーカスナイト」の物語は、平静な日常をつづるものに自分には思える。ところどころの印象的なフレーズや出来事が目立つけど、大方は、背景にとけてしまっているように、淡々としてすぎてゆく。 という小理屈にもとづき、気になったフレーズで飛び石をつづけます。 「私は一郎を好きになったとき、あまりにも好きになりすぎて一郎の子ども時代に会いたいと思ったし、一生一郎の子ども時代に会えないと思うと悔しいとさえ思った。」(P37) ・・・なんとなく、わが身にも、思い当たるところのあることば。。。これと似たことばを、『宗像教授異考録』でも、みた。 あちらでは、「父親は、娘の成長をみつづけながら、妻の過去の成長過程を理解してゆく。」というようなオヒレもついていたけど。。。恋しい人には、あれやこれや、いろいろ聞きたくなるけど。。。 「専属の伝記作家にでも、なる気?」 とか、軽くかわされて、たいがいはオシマイ。。。 「留守中に突飛なことが起きたという形跡を残さないのは、居候の掟だ。」(P40)・・・いつでも立ち去れることと、自分発の波風を起こさないこと。。。 居候とか、旅人とかの鉄則なんだろうなぁ。。。 『シェーン』とか『マディソン郡の橋』とか、鉄則と非日常のギリギリだから、物語になるんだよね。 さやかは、自分が今の場所で根を張っていることに気づかず、鉄則を守ることを、自分に言い聞かせながら、暮らしているんだね。。。「きっと私みたいじゃない、かわいいお嫁さんをもらって、・・・」(P82) ・・・このテのせりふは、よく、聴く。 先月もどこかで聴いた。 たいがい「かわいい」なのは、なんでだろうなぁ。。。 「美しい」とか「しっかりした」とか書いてしまうと、男性が面食いで、頼りないように、ひるがえってしまうからだろうか。 単純に、さやかが自身を「かわいくないんだ」と、思っているだけなのかな。 でも、義母さんからみれば、「まだまだだよ、かわいいとこらが、あちこちに残っているさ。」とか、きっといわれる。。。