本は読んでいます。 『街に顔があった頃 浅草・銀座・新宿』
『街に顔があった頃―浅草・銀座・新宿』というのを、7月ごろに読んだのですが、あてがはずれて、困った次第。泉麻人さんの町歩きエッセイは、15年~20年ほど古い時間への「あこがれ」をエネルギーに書かれているように思えていた。実際には暮らしてはいない時代への憧れ。乗り遅れたバスの背中を見送るような、そこそこの悔しい気持ち。残っているの足跡からの類推、実体験でない分の理想化。少し、違っているように思えて、首肯できない半端な気分。「長嶋が現役の時代に生まれたかった。」なんてことを、平成の小僧に言われても、返す言葉はSFもどき。吉行淳之介と開高健。この二人が、実際に暮らしていた終戦直後~1960年代の街を、語り合っていたら、きっとおもしろいだろうなぁ。進駐軍がいた頃の銀座、闇市でにぎわう浅草、なにが出るかな。と、中も見ずにレジへ向かい、読み始めてから、がっかり。1970年代に、モノゴコロがついた自分には、公害と安保のある不幸な時代をテレビは嘆く。「高度成長の前の時代」を懐かしく語る「大人の思い出噺」を信じるしかなく、成行きで、終戦直後~1960年代への興味が強い。自分の立ち位置は、泉さんに近いのだが、思い入れや、あこがれのはさまった想像ではなくって、実像にふれたいと思っていた。ので、『街に顔があった頃 浅草・銀座・新宿』には、実体験に立った証言を期待した。のだけど、はずれでした。基本は「艶笑本」。それぞれの街の風体に応じて、「それぞれの街の顔にあった、それぞれにエッチなお店がありましてねぇ。」という、そんなご本でした。【中古】 街に顔があった頃 浅草・銀座・新宿 / 吉行 淳之介 / 新潮社 [文庫]【ネコポス発送】【中古】 散歩のススメ / 泉麻人